毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分自身と「関係する」事の大切さ。

自分自身と関係するというのは人間の最大の特徴ではないかと思うわけですが、実際、その事を生活の中心に、というか、ベースにするという事はとても大切なように思います。

 

人は寂しさを感じる生き物ですが、案外、自分が感じている寂しさを自分自身でどうして良いか分からない。そのようなところがあると思います。どうしてよいか分からないから、必死に他人に関わって、それを埋めようとしてしまうところがあると思います。それは人間にはよくある事で、何もおかしなことだと思いません。

 

それは人に対してでなくても、モノに対してもそうです。モノに触れていると、何か寂しさが紛れるという事はあると思います。

 

スマホを何かと暇さえあればいじってしまうのもその一つだと思います。歩きながらでも、ほんの数秒の間に、人はスマホをいじってしまいます。もはや、本人としては、意識的に寂しさを紛らわそうとしているというほどでもありません。もはや癖であり、習慣でもあります。

 

ですが、そのような行為も人間としては普通であり、そもそもそういうものです。スマホであれ、パソコンであれ、インターネットであれ、そうです。

 

そのようにして、ひたすらに何かに関わっていたいわけですが、その時、自分自身と関わるという事も可能というわけです。寂しさと暇を無意識に紛らわそうとする自分自身に、自ら関わるという事です。それが可能なのが人間です。

 

人は関わりながら、様々な反応を求めています。他人と関わって他人からの反応を求めているわけで、同様に、インターネットに関わって何かしらの反応を求めているわけです。

 

それと同じで、自分で自分自身に関わる事で、自分自身は何か反応を示すわけです。それは自分自身との対話という形で成立するでしょうし、その対話は、問いかけとそれに対する答えという形で成立するだろうと思います。それによって自己理解を高まります。自分自身に対する新しい気づきや発見もあります。

 

寂しさを感じている事にも気付くかもしれないし、それを自分自身との対話によって紛らわせる事につながるかもしれません。気付いていなかった自分の中の不安も、自分自身との対話で、和らぐかもしれません。

 

人はそうやって、自分自身との関わりを持つ事によって、自己理解を深め、自分を癒し、成長する。そのような生き物だと思います。

 

諸法無我とは、関係性の世界である事を言っていますが、自分自身との関わりも、そのことの大切さを言っているのだと思います。