毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間とは色んな考えを基づいて色んな行動をするランダムな生き物。諸法無我。

人にはいろんな考えがあります。自分の中にも、色んな考えを持っています。今日考えた事を、明日も同じように考えるとは限りません。一貫性は大事かもしれませんが、一貫性がそんなにないのも人間です。人はそれでいいんだと思います。

 

逆に、一生ずっと同じ事を考え続けるというのも変な話です。何年もずっと光の事について考えていたというアインシュタインは、人間としては本当に珍しい部類です。大半の人は考えをどんどん変えていきます。定まりません。

 

人はまた、考えて行動します。ある事を思いついて、その事について考えて、その考えを元に、何かを行動します。あるいは、その考えを行動指針にします。そして、行動する事によって結果が伴います。実際の行動が、自分が実際に歩んでいく人生を形作っていきます。

 

考えて行動する。その事による結果は、因果関係があります。それもまた人間にとって普通の事です。

 

ですが、人は色んな考えを持っています。場合によっては、180度考える事が違います。今日考えた事が、明日になったら180度違う事もあり得ます。そうすると、今日と明日とで、考えに基づく行動が180度違ってきます。そして、結果も180度違ってきます。180度結果が違うと、人生の歩んでいく方向が180度違ってきます。

 

実際そういうものだと思います。今日考えた事に基づいて実行に移すか、明日考えた事に基づいて実行に移すか、それで自分の向かっていく方向が大きく変わっていきますが、そんな事はよくあります。

 

今日考えた事と明日考えた事の、どちらを選択して行動に移すかも、その日になってみたいと分かりません。それくらい、色んな事はランダムです。それでも人は結果がそういう事ならそれを引き受けて進んでいきます。そういう生き物です。

 

そのように考えると、人間というのはいかにランダムな生き物かが分かります。何らかの考えに基づく自分なんて無いかのようです。でも、そういう事でも、きっと人は構わないんだと思います。そのような因果関係の世界を生きている人間にとって、ランダムな生き方になる事は普通の事です。

 

そういうのを仏教では、諸法無我と言うんだと思います。永久不滅な本質など無いという事。自分の本質のようなものなど無くて、今日の考えが原因で行動した結果を生きていく事もあるし、180度違う明日の考えが原因で行動した結果を生きていく事もあるわけです。

 

そういうわけで、人間は色んな考えを持っているし、色んな考えに基づいて色んな行動をするし、そしてその結果としてのランダムな人生を歩む生き物です。