毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

仕事は「こだわり」より「スタイル」が大事。見える化された形より原始的な部分。

私は会社員として働いていますが、ひとつの事に専念してやっていくのは意外ときつく感じる、というのがあります。基本的には研究者として研究をやってきましたが、それだけではなくて、色んな事をやってみたいなと、40を過ぎて、よくそういう風に思います。

 

仕事というのは、特に会社での仕事になると、他の人もたくさんいますからみんなでやる仕事が多くて、実際ひとつの仕事と言っても、色んな事をやる事になります。それは、単なる業務の役割分担という話でもなく、人間として、もっと原始的な部分、基本的な部分というか、例えば、話をするとか、話を聞くとか、考えるとか、相談するとか、何かをする人間としての基本的な事です。その意味では、みんなでやる仕事でなくても、一人でやる仕事でも、基本的なやる事はたくさんあります。

 

働き方というより、単に人間として振る舞う基本的な部分です。その部分を人は独自に発揮して働いていると思います。そういう事が、結果的に、やっている仕事に反映されながら、仕事を進めていると思います。そういう意味で、原始的な部分としての働き方って意外と大事で、仕事の内容は何でもいい、というのはあります。

 

自分の持っている専門性とか、技術とか、スキルとか、そういうのは仕事として役に立つし、それで仕事として成立しますが、いわゆる仕事は、見える化された現れというか、形だと思います。その仕事にこだわって働く事も確かに仕事ですが、個人的には、それよりも、自分の根っこにある原始的な部分をより良く活かす事が大事かなと感じます。

 

今私が言っている原始的な部分というのは、「スタイル」の事を言っているのかなと、自分では感じています。スタイルとは、その人特有のものの見方、考え方、人との話し方や関わり方、そして、それらに基づいた考える範囲、関心事、他にもいろいろありそうですが、仕事の内容によらないものです。そういう、自分のスタイルで働く事の方が大事で、仕事の内容に対するこだわりみたいなのは無くても良いように感じます。

 

むしろ最近になって気になっているのは、今言った「スタイル」の事で、自分にはどういうスタイルがあるのか、案外そういう事が自分にはよく分からないと感じます。そういう意味で、今までずっとやってきた仕事、私では言えば研究ですが、それにこだわるよりも、自分のスタイルはどのようなものか、そういうのを発見したい、発掘したいという思いがあります。

 

だから、色んな事を仕事としてやってみたい、そういう風に感じます。今までやってきた研究は、逆に特に何も考えなくてもこれからも出来ます。

 

そういうわけで、仕事は、仕事の内容に対する「こだわり」よりも自分の「スタイル」の方が大事ではないだろうか、と思っています。