毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生は野球のバッターみたいなもの。1球と1日。

人生は、野球みたいなものかもしれません。野球のバッターみたいなものかもしれません。

 

というのは、例えばプロ野球のバッターというのは、「今シーズンは3割を打つぞ。」と言って、その予定通りに3割を打つものではありません。3割打つぞと言って、その意気込みを持って臨む事はあっても、その予定通りにそのような結果になるように野球をしているわけではありません。

 

それよりも、1球1球を大事に打つものだと思います。ピッチャーが投げるその1球に集中し、その1球をしっかり見極め、そしてボールが来た瞬間、スイングして打つかどうかです。そして、ヒットになるかどうかが決まります。結果はあくまでその後です。

 

1球1球がすべて勝負の1球です。1球たりとも集中しない事はありません。その球がストライクだろうが、ボールだろうが、何だろうが、集中します。その1球に集中するとき、結果としての3割の事は考えません。

 

人生もそのようなものだと思います。「この人生は良い人生にするぞ。」と言って、その予定の通りに良い人生になるものではありません。良い人生にするぞと言って、その意気込みを持って人生に臨む事はあっても、その予定通りにそのような良い人生になるように人生を歩んでいるわけではありません。あくまで、そう望んで生きているはずです。

 

野球で言う1球を、自分の人生の1日に置き換えてもいいかもしれません。その1日に集中して、しっかり過ごすという事です。1日は、1球より時間にしたらかなり長いですが、その1日間、それなりに集中して、しっかり考えて、しっかり過ごすものだと思います。

 

疲れている日は疲れているなりに、何とか良い日になるようにその1日に集中し、元気があるときは元気がある分、また集中してより良い日になるようにその1日に集中して、大事に過ごすと思います。

 

1日1日がすべて勝負の1日というわけです。1日たりとも集中しない日はないわけです。その1日が良い日だろうが、良くない日だろうが、何だろうが、集中するわけです。その1日に集中するとき、結果としての良い人生になる事を考えません。

 

1球1球に対して真剣に臨んだ結果としての3割であり、1日1日に対して真剣に臨んだ結果としての良い人生です。その1球に集中して見極めれば、その事はその次の1球に臨むのにつながるように、その1日に集中して大事に過ごせば、その事はその次の1日に臨むのにつながります。人生とはこのように野球のバッターのようなものです。