毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不眠と脳の疲れ。煩悩と諦念。

人はよく、歳がいくと睡眠の事で悩むようになります。そのひとつに、寝ている間に何回も起きてしまうというものです。中途覚醒とでもいいのでしょうか。

 

そういった事を、睡眠上の問題だと思って思い悩むわけですが、実際どうなのだろうかと思います。一般には、睡眠不足や寝つき、中途覚醒などの睡眠に関する問題は、運動不足とか生活リズムを改善するとか、色々と言われますが、そういった事をしても意外と改善されないと言って、悩み続けるというのはあると思います。

 

医者などに相談に行くと、眠れない事については「人は歳を取ってくると、睡眠時間はたくさんとる必要はないんですよ。」と言って、無理して寝る必要は無いと諭してくれる場合があるわけですが、結局そういう事ではないかと思ったりします。

 

人間というのは、実質的には、脳の問題が大きくて、睡眠に関してはほぼほぼ脳の疲労を改善するという事にかかっているのではないかと思います。人は歳を取ると智慧を身につけてくるわけで、実際多くの事が分かるようになってくるので、思い悩む事も減り、睡眠を摂ってそんなに脳を回復させる必要が無くなってくるようにも思います。

 

脳の疲労というのは、つまるところ煩悩が原因であって、煩悩が頭を疲れ果てさせるわけですから、多くの事を知る事で煩悩を減らす事によって、頭の疲れも減って、睡眠はそんなに必要なくなる。そういうものではないかと思います。

 

また、煩悩については、その煩悩を滅するという意味で、分からない事、解決できない事を、諦める、断念、みたいな事も、1つの知恵のようなものだと思います。多くの煩悩を根本解決しようとする事を諦めるという事も、1つ知恵であり、明らかにする事と言えます。そういうのを、諦念というんだと思います。

 

諦めるという事は、悪い事では全然ないと思います。むしろ真理を明らかにする事であり、知恵だと思います。この知恵によって、煩悩を減らして、結果的に、脳の疲労も減って、睡眠もそんなにたくさんとる必要が無くなってくる。そういう事だと思います。

 

そういうわけで、不眠で悩む。中途覚醒する。そういった睡眠不足で悩むわけですが、実際全然元気だったりして、実はそれを悩む必要ないのではないかと思ったりします。それより、知恵がついて、様々な諦念を経て、煩悩が減ってきたんだと思います。その結果、脳の疲労も減って、そんなに睡眠をとる必要がなくなった。そういうことだったりすると思います。睡眠に対するそういう理解も大事かなと思います。