毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

心配、不安。恐れの違い。心配は、囚われるのを止めて手放す。

心配とか、不安とか、恐れとか、ネガティブな感情についていくつかの言い方がありますけど、これらの違いを認識しておくことはけっこう大事だなって思います。

 

まず、「恐れ」ですが、恐れは、感情の強度は強いので、すぐに分かります。生理学的な反応としても身体がすぐに反応しますから、ある意味対処せざるを得ない、というか、自動的に対処してしまいます。だから、言い方は変ですが、そんなに問題ないように思います。恐れは、感じた瞬間、対処するしかないですから。対処せずにはいられませんから。だから、結果的には、恐れを感じたら、身体に基づいて反応して自然と対処して、恐れを軽減させます。恐れは基本的に長い間保持できません。

 

「不安」は、恐れよりも強度的には弱いと思います。ですが、弱いものの体感としてそれなりに強く、不安をそのままに保持しておくことはつらく、そして難しい事です。不安は、自分の中の何かしらに基づいて感じているので、自分にとっても何とか対処した方が良い問題です。不安を保持する事は恐れよりは可能ですが、保持し続けるのは危険です。メンタル的につらさが増して、病気になります。だから、誰か他人の力を借りてでも不安をしなければならなくなります。それくらい不安はつらいものです。その意味で、不安は対処しなければなりません。

 

そして、「心配」です。心配と不安は似ていますが、違いは、不安は自分の内部から発せられますが、心配は感情的にはもちろん自分が感じる事ですが、自分より遠いものからもたらされます。不安と心配の違いは、自分に基づいている程度の差だと感じます。不安は自分に基づいているので、それを何とかしないといけないと判断するのは簡単ですが、心配は自分の問題から離れている事が多いので、対処すべきかどうか、難しいところです。ですが、煩わしいので、不安と同じく、どうにかしないといけないです。

 

でも、心配と言うと、「誰々の事が心配だ」とか「このままでは日本が心配だ」とか、自分では対処できない事に対して思ってしまう事が多いので、この心配についてずっと気にしていたり、何とかしようとしたりすると、きりがありません。

 

だから、心配については注意が必要です。まず、それは自分の領域なのか、自分の領域でないのか、境界線を自分で引く事が大事です。自分と他人、自分と自分以外の世界を、ちゃんと境界線を引いて区別しないと、実が持ちません。

 

人の事が心配な場合、自分の為にその人を変えようとしてしまう事にもなってしまいます。また、心配だから国や社会が変わるべきだと言ってもしょうがありません。

 

だから、心配は注意深くその内容を認識して、自分に対処できない事なら、その事に囚われるのを止めて手放す事が大事です。「自分の事は自分で何とかするけど、自分以外の事は責任が持てないので対処にしない」という態度は大事です。

 

そういうわけで、心配、不安、恐れは、ネガティブな感情としては似ていますが、違いがあります。対処するという意味では、恐れ、不安は、対処せざるを得ないのでそんなに問題はありませんが、心配は対処すべきかどうかは吟味が必要です。そして、大半は心配に囚われるのを止めて手放す事が大切だと思います。