最近、相変わらず、ポリヴェーガル理論のニューロセプションの事ばかり考えているのですが、それを活かす事で効果があると言われている「音楽」に触れて、どことなく「感じる」という事が大事だという事なんじゃないかなと思っています。
ニューロセプションとは、パーセプション(知覚)という言葉の対比として出てきた言葉で、人間が意識的に認識できる、認知的な評価の仕組みではなく、神経生理学的に、無意識に身体が感じ取っているような評価の仕組みの事を言っています。
人間の頭では認識できない、気付かないわけですから、どうしたって頭でコントロールできないわけで、でも実は神経レベルでは気付いているという事です。
この仕組みは、ポリヴェーガル理論にしたがえば、生物の進化の過程で生まれてきたものなので、人間だけでなく、他の哺乳類、さらには、それより進化的に古い生き物も使っていることになります。そもそもが、生き物の行動の原理です。ニューロセプションに基づいて行動しているという事です。
これとの対比でパーセプションのことを進化的に加えて言うなら、神経生理学的に身体を整えて、行動しながら、そこに、頭を使って考えるという事が加わったという事です。ニューロセプションが基本で、パーセプションはその上で活用するものです。
何かと頭でどうにかしようとしてしまう人間ですから、どうしたって身体をないがしろにしがちです。それは、デカルトやメルロ=ポンティの文脈で人々が散々言ってきた事です。
今の時代、人間らしさの回復という意味では、頭ばかりに頼らず、身体志向で生きていく事が大事なように思いますが、それは、パーセプションからニューロセプションという事だと感じます。
また、「考える」という事に対して、「感じる」という対比を、意識、無意識の対比の観点から捉えると、認知心理学では、意識的に考える事を「思考」、無意識的に考える事を「感情」という場合があります。思考は、頭で認知的にコントロール出来る事ですが、感情は頭でコントロール出来る事ではありません。無意識下ですから、身体のモードというか、状態に基づいている感じです。
パーセプションとニューロセプションの対応が、そのまま、「考える」と「感じる」の対応に完全に一致するかどうかは分かりませんが、比較的そのような対比が出来るようには思います。
その意味では、身体志向の現代から考えると、「考える」ばかりではなく、「感じる」事がとても大事なように思います。そして、音楽は、感じる事が大事という意味で、その重要性が分かりやすく感じます。