毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体とともに無意識な生き物として生きる。ウェルビーイングな生き方。

今見えている世界、今感じている世界、想像している世界が、身体の状態を整える事でもっとより良くなるのかな、とそのように思うと、身体に対するケアをもっとちゃんとやらないといけないな、と思います。

 

座っていると、どうしても身体を椅子のように扱ってしまいます。身体は椅子ではなく、身体の一部であり、むしろ、自分そのもの、自分のコアであるはずです。

 

コーヒーを飲むとき、腕や手でコーヒーカップを口に運ぶわけですが、腕や手は単なる道具ではありません。手が握るコーヒーカップの感触や重みを感じる事は、飲むコーヒーを味わうのと同じはずです。

 

ペンで何かを書くときも同じで、頭で何かを手を道具として書くというだけではなく、手が何かを書いているとも言えます。指がペンを握って、それを紙面に圧力をかけながら書いているわけです。何かを書くとは、頭の中の何かを書き写すだけではなく、手や指がペンや紙面との間の感触を通して対話しているわけです。それは、キーボードでも同じです。

 

全ての動作や習慣は身体がやっていて、頭だけがやっているわけではありません。意識を、時には、無意識の領域に向けてやる必要があって、意識を、身体全体に張り巡らせる事が大事だと感じます。

 

人間は頭だけではありません。また、脳だけでもありません。身体、身体全体だと思います。どうしても、頭でどうにかしようとしてしまいがちですが、自分は身体全体であって、身体無しではどうにもなりません。

 

人間の意識というのは、無意識が無ければ存在しないと思います。意識は、無意識という土台の上にでしかありません。身体は、無意識がなければ機能しませんが、意識はなくても機能します。意識の領域は、身体と無意識の領域があってはじめて、氷山の一角のようにわずかに現れて、そしてそのわずかな領域として何とか機能します。私たち人間は、意識と無意識という意味では、ほぼ無意識です。意識は、無意識の中のほんの一部です。

 

私たち人間が、意識のある、意識的な生き物ではありますが、その前に、無意識的な生き物です。無意識に、色んな事をやる生き物です。色んな動作や習慣は、ほとんど無意識によるものです。だから、自分たちは無意識な生き物であることを忘れずに、わずかに出現した、自分だと思っているその意識を、ちゃんと身体全体に向けるようにして、身体を中心に生きていきたいと思います。

 

そういった、身体を中心とする生き方が、自分たち人間の生き方として大事で、それが、ウェルビーイング(Well-being)な生き方だと思います。