毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体を中心とする生き方にシフトする。頭ではなく、身体で考える。

自分の人生をより良い方向に進めていきたい、いつもそのように願っていますが、頭でいくらそのような方向に持って行こうとしても上手くいきません。最近、頭でどうにかしようとするより、身体に向き合って身体を大事にしながら生きていくようにする方が良いように思っています。

 

そういうわけで、身体を中心とする生き方について考えてみたいと思います。

 

最近の自分の毎日をあらためて振り返ってみると、やっぱり筋トレをしているとか、体操をしているとか、ヨガをしているとか、そういった事が生活の土台になっているように感じます。以前は、頭で色々と考えてどうにかしようとしていましたが、それでは、気分や感情の問題とか、疲労やストレスの問題とか、そういった、メンタルを主とする心身の問題が出てきて、思うように前に進めないという感じがします。

 

それより、自分の身体に向き合ったり、そういう時間を大切にしたりする方が良くて、自分の身体がある意味無意識に自分自身を前に進めてくれます。

 

メルロ=ポンティの身体の現象学から学んだのは、自分自身は、身体であるという事です。自分の意識や注意は、脳を中心とした頭にあるように感じますが、それらも身体全体とともにあって、身体無しでは意識や注意、思考は、まともに機能しないという事です。

 

最近ポリヴェーガル理論の本を読んで、人間の自律神経は、背側迷走神経系、交感神経系、腹側迷走神経系の順番に、進化的に発達してきたという視点を得ましたが、そのような視点で神経系というものを考えると、人間がいかに脳神経を中心に生きているだけではない、という事が分かります。

 

自分の在りかとして感じる自己意識は、身体の土台の上にあるという事です。

 

自己意識としての自分は、頭であれこれ思考して、色んな事を判断して決めて、前に進んで行っているように感じますが、そのもっとコアの部分で、無意識的に身体が考える前提を作っているようにも感じます。「身体が感じる」とは、「頭で考える」という思考の前の思考という感じでしょうか。

 

そういう意味で、色んな事を進めていこうとする時、まず頭であれこれ考えて無理に何かを決めるのではなく、身体に向き合って身体と対話をして、身体の状態を整える事が大事だという事です。そうするうちに、自然と、身体が何かを決める準備をして、実際に前に進めます。

 

これまで、いかに自分の身体をないがしろにしていたか、という事を感じます。そういうわけで、あらためて、身体を中心とする生活にシフトして、身体を土台にして生きていきたいと感じています。そのようにして、身体で「考える」事を身につけていきたいと思います。