毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間の歴史は、適者生存の歴史ではなく体験の質の向上の歴史。ウェルビーイングの時代。

これまでの人類の歴史を見ると、進化論における自然選択という観点から、その時代の環境に適応的に生きる事が出来た生き物が生存するという観念が根強くあると思います。この観念にすごく生きにくさを感じていたわけですが、案外そうではないのではないかという気がしています。

 

今回は、その事について、人間の本質は意識であるという点を踏まえて、意識が体験しているという観点で考えてみたいと思います。

 

もう一度、ダーウィン自然選択説というものに触れますが、適者生存という自然の仕組みは、逆に言うと、「生き残るためにはその時代の環境、状況に適応しなければならない」という考え方になる事に気付いてしまうので、適応的に生きる事を続けていると、その目的が「生存するため」という事になってしまって、生存するその先を生きるというところで、生きるモチベーションが維持できなくなります。生きる希望が失うという感じです。これは、現代の生きづらさの一つの理由ではないかと思います。

 

子供の頃から、受験勉強、就職活動、結婚、家族計画、色んなライフイベントがあって、それらをその年齢、その環境で適応的に進めていくわけですが、その生き方を続けていくと、どうしたって、この問題もぶち当たります。「何のために生きているんだっけ」と。ただ、周りの人に、社会に、世の中に適応するだけで生きていると、この問題に陥ります。

 

一方で、人間の意識は何をしているかというと、身体の知覚する性質によってあらゆることを体験しています。言い方を変えると、意識は体験を作り出しています。意識の活動とは体験を作るという事です。

 

食べ物というのは本来、食糧というか栄養の源であり、それにより生き物は生存してきたと考える事ができます。一方で、現代では食べ物は単なる栄養ではなく、食の楽しみというものになっています。誰がカレーを作り出したのか分かりませんが、すべての人とは言いませんが、カレーライスが美味しい事を知っている現代人は、カレーライスを栄養の為に食べようと思っていません。美味しいという体験を求めて食べています。

 

人類の、文明や文化の発展は、食をはじめとする、様々な体験の発展の歴史と言えるのではないかと思います。

 

私が勝手に思う20世紀の最大の発展は空調だと思っています。温度、湿度が管理された空間で過ごす事ができるというのは、20世紀より以前の人たちの暮らしにはなかったと思います。湿度の高い夏や冷え性どころでは済まない冬が、現代の空調システムでどれだけ改善し、生きやすくなったか。「生きやすい」だけでなく、かつてなかった「心地良い」体験をしていると思います。この「心地良さ」「快適さ」は、より良い生きた心地を与えてくれるもので、まさに体験の質が向上してきたと言えると思います。

 

もちろん、体験は、身体的な事にとどまりません。喜びや楽しみの質もエンタメなどの発展を伴って、圧倒的に向上したと思います。

 

また、体験の質というのは、ポジティブな事だけではなく、ネガティブな事も含みます。喜怒哀楽のような体験は、人間には根源的にあったとは思いますが、そのような感情としての体験も、それらの質をどう扱ってどう乗り越えていくか、という事によって、生きる質が変わってきます。

 

そのような意味で、人類の歴史は適者生存の歴史ではなく、体験の質の向上の歴史と言えると思います。厳密に言うと、適者生存の歴史から、体験の質の向上の歴史に発展してきたと言えると思います。

 

これから、もちろん今すでにですが、いかにより良い体験をしていくか、作っていくかが、とても大事だと思います。その意味で、本当に、現代はウェルビーイングの時代だと感じます。