毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間は感情で生きる生き物。思考や気分、認知、EQ、ウェルビーイングとの関連。

人間というのは、感情を中心として生きる生き物だと思う今日この頃ですが、思考や気分との比較によって、また、EQやウェルビーイングに関して、感情が重要だという事をお話ししようと思います。

 

その前に、「人間は考える生き物である」というデカルトパスカルが言った事を元にして考えると、まず人間とは思考する事が中心とみなす事もできます。その上で、思考を意識的領域と無意識的な領域に分けると、意識的な思考をいわゆる「思考」、無意識的な思考を「感情」と表現できます。そう捉えると、感情は無意識の領域ですから意識的にコントロールする事は難しい領域ですが、「感情」はFeelingで、「感じる」はFeelで動詞的なニュアンスがあって、思考するという操作性に比べると感情に対する操作性は弱いですが、完全に受動的というわけでもなく、感情は多少能動的に扱えるとも言えます。

 

感情に対して、気分(Mood)や情動(Emotion)があります。これらは身体的、生理的な事の影響を強く受けていて、気分は程度としては弱く、でも、曖昧に揺らいでいる感じがあり、情動は程度は強く、具体的な何かで強く引っ張られる感じがあります。気分や情動は、身体側にかなり寄っていて、意識的な思考によってコントロールする事は難しいです。ですが、感情とは少し関係していて、感情の変化によって気分は変わるし、気分は感情の影響を受けやすいです。認知に関しては、情動や気分は人間の認知機能を強く支配していて、認知バイアスを持つ人間としては、それを超えて、意識的に思考する事で自分の感情や思考自身、また行為や行動をコントロールする事は難しいです。

 

ダニエル・カーネマンらのシステム1とシステム2は、大雑把に言えば、無意識的な思考である感情がシステム1、意識的思考はシステム2という感じがします。ただ、上の認知バイアスがシステム1に強く影響を与えるものの、その認知バイアスを思考を用いて修正していく事で、そのシステムをコントロールする事は可能になります。思考はその為にもあって、人間が他の動物よりも考える生き物と言えるとすれば、それは意識的な思考を持っているからだろうと思います。

 

そのように、感情や思考、気分や情動、認知バイアスとの関連について考えてみましたが、人間は一方で主観的な世界を生きる生き物であるという見方もあります。主観的な体験こそが生きる体験であるという事です。主観的な体験は、「どう感じているか」という感情が密接にかかわっていて、その点では、人間は感情で生きていると言えます。

 

最近、EQ(Emotional Intelligence Quotient)、日本語訳は、ウィキペディアには、「心の知能指数」と書いてありますが、このEQがとても大事という考え方が注目されています。ウィキペディアには、「心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指す。」というように書いてあります。いかに、感情を豊かにして、生きていくかが人の人生にとって大事か、という事です。

 

感情は気分の影響を強く受けますが、気分は自分が意識的にコントロールする領域としては遠くて、認知バイアスに基づいて気分に振り回されて生きたり、気分が良いという事に任せて生きたりするというのは、EQの観点からはそんなに良い生き方とはなりません。

 

ウェルビーイング(Well-being)を大事に生きるという観点からも、気分を中心に生きるのは、自分が気分が良くなろうという事に任せて生きる事になるので、気分ではなく、感情をコアにして生きていくのが良いように思います。

 

その意味で、意識的な思考は、感情の為にあるという事になります。感情が豊かになるように思考を使っていかないと、自分の感情の変化を無視して、生産性や生存の合理性に適応させて思考する事に任せても、感情は豊かになっていきません。感情がより良い状態にならないと、人は生きていくのが大変になります。

 

そういう意味で、人間は感情で生きる生き物という事について考えてみました。思考する事も人間ですが、思考には最近の認知科学では区別があって、無意識な思考は感情の領域です。その意味では、無意識に考える事が大事とも言い換える事も出来ます。

 

私自身、ウェルビーイングを中心とした生き方は大事だと思っていて、感情を大事にして生きていくというのは、とても良い考え方だと思います。