毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生を変えていく事について量子論的に考える。習慣と進化。

自分は日頃から習慣が大切と考えていて、新しく取り組みたいと思う習慣を生活習慣の一部になるように継続して習慣化して、そして、自分の生活や人生を変えていけると考えています。習慣化とは、ある行為を定着させていく事であるのですが、実際にはほとんど、習慣化させていきつつ、修正して習慣を変えたり、新しい習慣を始めたり、またある時は習慣を止めたりしています。そうやって、必ず、習慣化するとともに習慣を変化させ続けています。私自身、習慣は自分を実効的に変えていく方法として重要だと考えていると同時に、変化し、進化していく事も重要だと思っていて、むしろ、進化していく為に習慣を大切にしているような感じです。その意味で、生きていく上で、習慣と進化は常にセットになっています。

 

でも、習慣はある行為を定着、固定化していく事なのに、一方それを変えていこうとしている自分も不思議だなと思います。定着させる行為そのものは変化させる行為そのものとはまるっきり違うからです。

 

それについての考え方は、たぶんこう考えるべきです。考える順番としては、人は習慣によって生きているという事が先で、習慣が毎日の生活や人生を形作っていて、それをベースにして、人生を進化によって変えていくというのはその後です。習慣が先で、進化が後です。いかに、習慣を進化によって変えていくかです。

 

そもそも習慣に良いも悪いもなく、毎日の何気なく振舞っている事の全てが習慣ですから、毎日同じように暮らしていたら基本的には何も変わりません。そこに、何か変化がもたらされたら変わります。だから、自然に任せてとか、時間が経つに任せて、自分の外側から変化がもたらされるのを待つか、それとも、自分が人生をこの方向に持っていきたい、人生を変えていきたいと思って、自分の内側から変化をもたらそうとするか、です。

 

実際には、人は多くの人とのかかわりの中に生きていて、また、よく整った社会システムの中で生きているので、特に何もしなくても、何も考えなくても、自分以外の何かしらから変化がもたらされて勝手に変わっていきます。世界は、諸行無常の世界です。そこに身を置いていれば、関わりの中で勝手に進化していきます。

 

進化とは、いわゆる進化論から考える事ができます。ある種の個体が集団の中にいて、その環境の中で適応して生きているわけですが、その集団の中で突然変異が現れたとき、その種が他の多くの種より環境に適応できなければそのまま淘汰されるし、より適応できるならむしろ突然変異が生き残ります。そのようにして、種はあるとき進化していきます。

 

ここでの習慣と進化の話も、進化論の話に似ています。ある習慣が周りの環境に適応したとき、その習慣が生き残って、その結果人生が変わっていきます。

 

話が長くなりましたが、その上で、シュレディンガーの猫など、電子の量子論的振る舞いから、習慣と進化の関連で、人生がどのように変わっていくのか、人生をどのように変えていけるのか、考えてみたいと思います。

 

電子は、原子核の周りを静電的な相互作用などによって適度な位置に配置されています。電子も原子核も粒子ですから、原子核という粒子の周りに電子という粒子が存在しているという事です。ですが、実際の描像は、電子は原子核の周りのある1点にいるとは考えず、電子の雲のように原子核の周りに分布して広がっていると考えます。ですが、繰り返しですが、電子は粒子ですから、ある瞬間を切り取れば、その電子はある点に粒子として存在しています。そして、またある瞬間を切り取れば、その電子は他の異なる点に粒子として配置されています。そのようにして、その瞬間瞬間をコマ送りのように切り取って重ねていくと、つまり時間的な幅を持たせると、電子は一定の雲状の形の分布になります。このようにして、電子は確率論的な存在であって、ある時はこの場所、またある時は別の場所に居て、トータル100%で雲状の分布になるという事です。

 

シュレディンガーの猫の話もこうで、ある時は居て、ある時は居ない。でも、確率的には半分の確率でそこに居る、という事です。

 

この電子や猫の量子論的な振る舞いを、私人間の人生に捉えて考えてみます。

 

自分がある一方向に向かって生きています。ある時間が経過した後、自分の人生は、今の時点から未来のある時点に移っています。自分は環境からの影響であれ、自分の内的な影響であれ、一方向に向かいながらも、別の方向にも向かっていく可能性があります。結果的に、人生は予定通りの方向の未来に辿り着いているかもしれないし、もしかしたら、別の方向の未来に辿り着いているかもしれません。確率の問題です。

 

実際は自分自身どのような方向に向かっていくかはわかりません。向かっていけば良いかも分かりません。人生はランダムであり、何が起きるか分からないからです。そのようなよく分からない人生のコマを自分たちは進めているわけですが、その振る舞いは電子の確率論的な振る舞いに似ています。ある点から放射された電子は、目の前の2つのスリットをすり抜けて向こう側のどの位置に辿り着いているかは確率的です。

 

そこで、人はある習慣を基礎にして生活を送っているとすると、その生活に基づいた人生はある方向に向かっていくでしょう。毎日変わらない習慣を送っているとすると、その人生はその習慣に基づいてある方向性を持ちます。そうしていく中で、自分以外の何らかの外的要因がもたされた時、その習慣に変化がもたされて、人生が他の方向に向かっていくかもしれません。それは確率の問題とも言えるかもしれません。自分以外の外的要因によって、自分の人生の方向性はランダムなものになります。

 

一方で、この先どうなるか分からない人生をある一方向に向かわせたい時、ある習慣がそこに導いていきます。自分の内側からある方向に方向づけようとすると、ある方向に人生は向かっていきます。習慣は、人生を形作る基礎だと考えると、ある習慣によって人生をある方向に向かわせていく事が出来ます。逆に言えば、毎日の生活習慣が全く変わらなければ人生の方向性は変わりませんし、生活習慣を安定なものにしていなかったら、生活は成り行きの固定化された習慣になって、同じく成り行きの人生の方向性は変わりません。その意味で、変わらない習慣は人生の方向を変わらないものにもします。でも、言い方を変えれば、自分の習慣を自分自身でハンドルして習慣を形作っていけば、人生の方向はある方向に向かっていきます。

 

そのようにして、生活習慣を自分自身でコントロールしてある人生の方向に向かわせていく事が可能なわけですが、人生の方向を変えたいと思う時、その時は、生活習慣を変えないといけません。毎日の習慣は自分の生活を形作り、人生を形作っていきますから、その習慣に変化を加えると、他の方向性が開かれていきます。

 

ただし、実際に生きていて、毎日やる事は多く、家事や仕事などやる事は案外変わりません。今日も明日も明後日も同じ事を続けていたら、きっと変わりません。形作っている習慣をがらっと変える事は難しいものです。習慣はそう簡単に新しいものに定着しないですから。

 

でも、一部の習慣を変えてみるとどうでしょうか。生活を形作っているすべての習慣の一部を変えてみると、見た目にはすぐには生活は変わっていきませんが、ある時その一部の習慣の変化が、ある方向に生活を変化させていきます。振り返ってみると、ある時間が経過した時、当初想定していた人生の方向性とは異なる未来になっている可能性があります。80%は変わらない生活習慣をしていながらも、20%新しい習慣を取り入れると、20%の確率で予定とは違う人生を歩んでいる可能性があります。

 

人も量子論的に、電子の振る舞いのように確率論的に捉えると、変わらないように見える人生が、日常の生活習慣に一部変化を与えるだけで、確率的に他の人生の方向性が開けてきます。このようにして、人生を、習慣によってハンドルできます。

 

今回は、人生を変えていくという事について、習慣や変化、進化について、量子論的に考えてみました。このように考えると、やはり人生は単なるランダムなものではなく、自分自身で習慣を上手くハンドルしていく事によって進化していくように思います。