毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

「思索」という趣味について考える。「物思い」との比較や気分、自己意識。

「思索にふける」という事を趣味にするという事はあるのでしょうか。哲学が好きな私にとっては、案外そういう趣味はあるではないかと思ったりするわけですが、今回はその事について、物思いとか、気分とか自己意識とか、そういう事と関連付けて考えてみたいと思います。

 

そもそも「思索」とは何でしょうか。インターネットで調べてみると、「秩序立てて考えを進めること。物の道理をたどって考えていくこと。」と書いてあります。「思考」と似たような意味だと感じられます。また、「思索にふける」という表現をするわけですが、ふける=耽るというのは、これもインターネットで調べてみると「一つの物事に熱中する。夢中になる。」となっていて、「思索にふける」とは、「秩序立てて考える事に、熱中する」というような感じになります。確かに、そう考えると哲学する事に似ているように思います。

 

物思いにふけるという言い方もあります。「物思いにふける」とは、調べると「悩みごとや心配ごとなどについて、一心に考え込むこと。」とあって、「思索にふける」とは少し違うようにも思います。私は、物思いにふける事も多いように思うので、ひょっとしてこちらの方が好きなのではないのかと思ったりしますが、「悩み事や心配ごとについて…」となっているので、好きというか、ただ無意識にそうしている、という気もします。実際、「物思いに耽る事」の方が「思索にふける」という事より多いのかもしれませんが、「思索にふける」事の方が好きなようにも思います。

 

私自身、「気分」の影響を凄く受けやすいので、思索をするという事についても、気分が悪いと、思索している最中に気分が影響してくる感じになります。基本的には、思索する、思考する事は脳内でやっていますし、気分は脳内で感じる事ですから、脳内で気分を背景にしながら思索にふけるという状況になると思います。気分の影響が弱ければ、思索に集中しやすくなるように思いますが、悩み事や心配事や多いと、気分がネガティブになって影響が強くなるので、思索する事に集中できず、もしくは、思索に気分が侵入してきて、「物思いに耽る」という感じになるような気がします。気分は脳内に基本的に漂っているので、「思索にふける」と「物思いにふける」は混ざりやすいように思います。

 

自分は、というと、自分は脳内にあって、意識に関しては、自己意識として捉えられるとすると、自己意識は、脳内で、気分を背景に漂っているように思います。意識は、意識的に思考する事もあるし、無意識も意識の範疇ですから、無意識に思考する事もあります。意識的に思考するという場合は、自己意識が思考しているとも言えるように思います。思索にふけるという事について考えると、自己意識は、気分を背景に、言い換えると、気分を自己意識を取り囲む環境にして、周りからの環境因子である気分の影響を受けながら、脳内で思索にふけるという感じになります。

 

思索にふけるという趣味についてですが、個人的には趣味になりうると思っています。気分を背景にして、時にはネガティブな気分に浸りながら、悩み事や心配事をについて物思いにふけりつつ、でも、気分が良ければ、心地良く思索にふける事もできるように思います。思索にふける内容によっては多少ネガティブな気分が背景にあってもいいのかもしれません。悩み事や心配事の中にも、哲学する対象は見つかりますから。

 

だから、心地良い景色を見ながらのんびり思索にふける時間を作る事は、ひょっとしたら、最高の贅沢なのかもしれません。コーヒーを飲みながら、リラックスして思索にふけるのも、ウェルビーイングのひとつであり、幸せの時間と言えるかもしれません。

 

そういうわけで、思索という趣味を前向きに捉えながら、これからも思索にふけようと思います。