毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

感情だけではなく、自分の気持ちにも気付いて理解する。

妻からもっと自分の「気持ち」を表現した方がいいと指摘を受けて、あらためて、自分はあまり自分の「気持ち」というものについては考えてこなかったという事に気付きました。「感情」に向き合うようとは考えていたのですが、「気持ち」と言われると、あんまり「気持ち」という言葉では考えていなかったな、と。

 

そこで、感情と気持ちについて調べてみました。

 

感情についてはこうです。

 

「感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある」

 

そして、気持ちはこう説明されています。

 

「気持ち(feeling 、Gefühl )とは、不安や・苛立ち・可笑しみ・皮肉、哀れみ・嫉妬・恐怖・喜び・愛といった、様々な心理的な体験と反応についての総称であり、(可能性としては)記述され、また言語で表されるものである。気持ちを測るための神経生理学的な手法は多くあるものの、それが一様にかつ個人差を越えて有効だとは認められていない。これはまた、気持ちが個人的または主観的な意識の質や自我の状態として解釈されることを示唆している。」

 

「気持ちは、我々の感覚器官に由来する刺激が処理されて生れたものである。その感覚器は我々を取巻く世の光景だけでなく、我々自身の体に起きている事象をも伝えてくれる。気持ちは、外的な事実だけでなく我々自身の価値判断が表れたものでもある。」

 

非常に似ています。感情の説明自体に、気持ちという言葉が入っていますし。でも、気持ちの説明に、「個人的」、「主観的」という用語が使われています。つまり、「気持ち」とは自分の気持ちというニュアンスが強く感じられます。一方、「感情」を使う時は、単に生き物としての感情の発露のような意味であるように感じます。

 

そういう事から、自分の不安感とか悲しみとか恐怖を感じているとかそういう感情の発露に気付く事も大事ですが、言い方としては、「自分の気持ち」について気付く事が大事なのではないだろうかと思います。

 

自分への向き合い方としては、まずは自分の感情に気付く事は大事と思います。でも、表面的な感情の発露に気付くだけでなく、自分がどう感じているのかという自分の気持ちについて気付いて、知って、理解する事が大事だと思います。そして、本当はどう思っているのか、さらに自分に問いかけてよく感じて考えて、さらにもう一段深く踏み込んで、本当は何を望んでいるのか、という自分の積極的な気持ちにも気付いて、理解する事が大事だと思います。

 

これまで、単に感情の発露に気付くだけでそれで終わりになっていて、それをそのまま対処せず放置して、そして結局感情に振り回されて、家でも妻にその感情をまき散らせていたように思います。これから、自分の「気持ち」に向き合って、十分に消化できるまで考えて理解して、そこから自分の本当の気持ちや積極的な気持ちについても理解するようにしていこうと思います。