毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

疲れた翌日の瞑想。身体の点検。

毎日の仕事や家事、それ以外の日常的な事で、人間関係に関しても疲れる事は多く、心身が疲れていると思います。平日最後の金曜日に疲れて帰宅して、翌日の土曜日の朝を迎えても、まだどことなく疲れが取れていない。でも、週末なのに何か色々とする事がある気がして落ち着かない。そんな時は、やっぱり瞑想が良いと思っています。

 

特に、身体の疲れに関しても、瞑想によって気付ける事もあります。瞑想による「身体の点検」です。

 

私は、瞑想に取り組むとき、静かに目を閉じて椅子に座って、呼吸に集中するようにして始めています。もちろん、思考や記憶の断片に覆われる事も多いですが、それでも極力、身体の方に意識を持っていくようにしています。その為にも、最初は呼吸に注意を向けるのが一番やり易いと思います。

 

そして、呼吸は鼻でしていて、目は閉じているとは言っても瞼を通して光が入ってきますから、自分の在りかである「意識」は目や鼻付近にあります。身体の点検は「意識」が行う感じですから、最初は目や鼻あたりから頭の中全体に注意を向けていく感じです。私の場合は、眼球の周りや額の周りが疲れている事に良く気付いて、日頃のパソコン作業などによるのだろうという事に気付かされます。また、こめかみや歯、顎もキシキシしている事も多くて、普段顔が緊張で力んでいるんだという事にも気付かされます。首や肩の疲れにも気付きます。

 

そして、呼吸は胸やお腹辺りでもしていますから、その付近の点検もしやすいです。深呼吸など、深く呼吸をするときに、負荷を感じたりして、内臓が疲れているなと感じることもあります。また、息を吸ったときにお腹付近が膨らんで、胃のあたりが疲れている事にも気付いたりします。内臓はいつも無意識に働いていますが、意識しないと気付かない事が多いです。だから、こうやって瞑想によって身体を点検する事で、内臓付近の状態に気付く事も、「身体を休ませよう」「身体を癒してあげよう」という気持ちになって良いと思います。自分に対するケアする気持ちというか、労わるような気持ちが出てきて、気持ちに余裕が出てきたり、リラックスする方向に身体が流れていったりして、身体が本当に休もうと思えるようになります。意識的に、無理やり休もうと思っても、身体が休んでくれないというか、無意識の深い部分が休んでくれない事があるので、身体、特に内臓当たりの点検は身体の休ませるのに良いと思います。

 

もちろん、手や足、身体の末端の方まで点検できれば、さらに良いと思います。ただ、身体に注意を向けるのは、末端よりも、呼吸をしている場所、鼻、喉、胸、お腹の辺りの方がしやすいので、そこを中心的にやるだけでも実効性も高くて、効果があると思います。

 

このように、瞑想をしていて良いと思う事は、落ち着けるという事です。休もう、リラックスして過ごそうと思っても、無意識がそうしてくれず、なかなかリラックスできずにいる事が多いので、瞑想を5分でも10分でも行うと、その方向に持っていけます。忙しく感じていてそんな時間はないと思っていても、その瞑想の5分を使う事が、結果的に、有効に時間を使えます。

 

そして、気持ちが切り替えられるという事です。瞑想前までは、あんなに余裕なく、せかせかしていて、逆に手がつかなかったのに、瞑想をすると、気持ちがゆったりしてきて、ゆっくりと、やる事を自分で決めて手に付けられるようになります。そのくらい、落ち着いている状態は、リセットする、仕切り直しをする、という点でも、大事という事です。

 

というわけで、日常を、身体の疲れに気付かずに過ごしている事は多いと思います。なので、瞑想による身体の点検をやってみて下さい。身体が思ったより疲れている事に気付かされます。そして、本当にゆっくり過ごそうという気持ちになれます。おすすめです。

夜の瞑想ストレッチのすすめ

タイトルの通り、夜は、瞑想しながらストレッチをするのがいいですよ、というお話です。

 

瞑想は、毎朝仕事で出かける前に10分から15分ほど行っていて、習慣にしているのですが、相変わらず集中できていなくて、むしろ夜にたまにやっている瞑想の方が、上手くいるように感じています。瞑想の習慣は朝ではなく、夜に変えようかなとも思っているくらいです。ただ、朝は朝で、仕事に行く前に瞑想をする心地良さもあるので、朝の瞑想をやめたいとは思っていないというのもあります。でも、夜の瞑想はとても良いとは思っています。

 

また、仕事から帰ってきた後は、身体が結構疲れていて、ストレッチはとても効果的だと思っています。もちろん、気付いた時にはストレッチはやっていて、腰や足、背中や肩の疲れを取っています。ただ、夜は夜で、自宅で落ち着かず過ごしていたりして、ストレッチの為のゆっくりとした時間を取れずにいました。

 

そういう事もあって、瞑想とストレッチを組み合わせて行うという事を思いつきました。瞑想を取り組むときは、スマホなどを使って、5分とか10分とかセットして行うのですが、そのように時間をセットして、瞑想を行うようにしながらストレッチをやるという事です。ストレッチ自体もひとつひとつの動きは、ゆっくりで30秒程度ずつですから、5分くらいの短い時間でも、いくつかのストレッチを十分出来ます。

 

ストレッチを行う時間を決めてやるというのは、習慣にしていくには良いと思います。時間を決めないとだらだらやってしまって、むしろ長くやり過ぎたりすると、習慣として定着しません。なので、5分なら5分と決めて行うと良い感じで終わる事ができて、習慣にしやすいように思います。

 

また、瞑想のようにやるわけですから、基本的には、静かに目を閉じて行い、呼吸に集中するようにストレッチをします。ストレッチは、呼吸を止めずに行う事が大事ですから、瞑想の呼吸とストレッチの呼吸は、相性が良いように思います。

 

これは最近やってみたばかりで、まだ習慣として取り組んでいるわけではありません。でも、実際にやってみたらけっこう心地良かったし、ストレッチに関しては、仕事でのパソコン作業など、眼精疲労や肩こり、足や腰もきつくなっていて、やる必要性を強く感じていましたから、継続出来たらなという期待感はあります。どことなく、この、瞑想をしながらストレッチを行う、名付けて「瞑想ストレッチ」なら、疲れた夜でも習慣として続けられるような気がしています。

 

そういうわけで、今後この「瞑想ストレッチ」を習慣として継続していこうと思います。何か気付いたことがあったら、次の機会でお話ししたいと思います。

習慣を継続して自分を作っていく

 

毎日の生活の習慣が、自分自身を形作っています。なので、習慣が良い感じで継続していると、自分自身が良い感じで創られていく事になります。

ただし、何でもいいからやってきた習慣を続けていさえすればいいかというと、そういうわけでもなく、時には見直して、修正したり、やめたりしていった方が良いという事もあります。無理に続けると、自分にとって良くない習慣だった場合、良くない自分が形作られていく事になります。

だから、時折、自分の習慣を見直してみるのが良いと思います。毎日やっている習慣を、ただ何となく続けるのではなく、常に、それらの習慣がどのような状態になっているのか、把握できている事が望ましいです。

例えば、私は毎日イラストを描いていますが、いつでも自分の思うように心地良く描けているわけではありません。どういうイラストを描こうか、なかなか決まらず、以前に描いたものを振り返ったりして、「じゃ、今日はそれを参考にして少しアレンジしたイラストにしよう」みたいな感じで、描くのに苦労したけど何とか描けた、という日もあります。いつも苦労せず描けているわけではないのです。

それでも、毎日描いていると、何か手ごたえを感じたり、今までになかった画風のイラストが描けたりします。そういう時は凄く充実感を感じて、続けてきた良かったと本当に思えます。そんな感じで継続しているわけですが、3か月前に始めた頃のイラストと比較すると、最近のイラストは明らかに当初にはなかったイラストになっていて、明らかに成長している事が分かります。

これは私のイラストの習慣の話ですが、このようにして、上手くいかない日があっても、何とか継続すると変化や成長を感じられて、とても充実しています。

習慣の継続についてですが、まず、習慣は継続しつつも常にその習慣を見直して、状態を把握しておくことが大切だと思っています。上手くいっている、上手くいっていない、などの感覚的な事や、継続していく事に自分にとって有意義なのかどうかとか、成長しているか、進化しているか、とか、色んな側面からの評価、把握が出来ていると良いと思います。

そして、時折、それらの習慣をそのまま続けていくのか、修正を加えるのか、もしくは止めるのかなど、今後どうしていくのかを決めるという作業も大事かと思います。定期的に仕切り直しをして、気持ちを新たにすることも出来ますし、生活を整える機会にする事も出来ます。生活習慣は、仕事やそれ以外の事で、色んな影響を受けていますから、その都度修正が必要です。なので、継続してきた習慣を、今後も続けていくのか、という判断をしていく事は重要です。

習慣は、継続してみないと、その意義や効果は分かりにくいものです。自分自身が形作られて、あとではじめて分かるという事もあるからです。でも、今上手くいっていないように感じていても、継続していると充実感が出てきて、進化や成長を感じられて、継続してきて良かったと思う事もよくあります。なので、そういう事も見極めながら、習慣を継続していってほしいと思います。

退屈を感じたとき。挑戦・休息・習慣

人生、退屈を感じる時ってあると思います。私の場合は、特に飽きやすいというか、すぐ退屈に感じたり、その退屈さを不快に感じたりしますので、この問題は無視できません。なので、そういう、退屈に感じたときには、単にネガティブにとらずに、いくつかのポイントで前向きにとらえようとしています。

今回は、退屈に感じたときに意識している事についてお話ししたいと思います。主に3つで、挑戦するチャンス、休息、習慣、についてです。

まず、挑戦するチャンス、についてです。人生に退屈を感じたとき、本当に困ったなとよく思います。退屈を感じる時という事は、だるくて嫌な感じですし、人生でやる事がもうないのではないかと思ってつらくなります。でも、そう感じる時は、今では、挑戦が足りないんだと思うようにしています。挑戦をするときなんだと。頭が退屈なわけですから、考え抜くような対象を持っていないという事であり、言い方を変えれば、考え抜く対象を持つ余裕があるという事です。もっと頭を使って、新しい事に挑戦できるという事です。きっと今までリスクだと思っていたような事は、今やリスクではなくなっています。だから、よりリスクの高い難しい事に挑戦するチャンスです。もっとハードな事にトライするときが来たという事です。

そして、上でお話しした挑戦の話とは全然方向は違いますが、休息を取るべきサインかもしれないという事です。頭が疲れてくると、ネガティブなフィードバックが身体やメンタルにきます。だるくなってくるような感じです。だるさは、感覚や感情としては、退屈さに近いものがあります。頭の中で感じる事は色んな事が混ざっていて、明確な原因は判別しにくいものです。退屈さと疲労は、まさに混ざりやすく判別しにくい良い例です。そういう事もあって、退屈を感じる時というのは凄く疲れが溜まっているというサインで、休息をとる事が重要な場合があります。しっかり睡眠を摂るとか、水をしっかり飲むとか、リラックスして過ごすとか、ストレッチを念入りにするとか、身体を休ませる色んな方法があると思います。温泉やサウナなども良いのではないでしょうか。そういう、身体のケアをしてあげてください。疲れが取れた次の日などは、退屈さが消え去っている可能性があります。

3つ目は、習慣についてです。退屈さを感じると、気持ちが前向きになれなかったりします。でも、何か自分に変化を与えようとして無理をしても、退屈さを解決する事にはつながらないと思います。また、気持ちがネガティブですから、良いアイデアも生まれません。そういう時こそ、これまで毎日取り組んできた習慣をしっかり継続しましょう。習慣は、人生や生活を形作る基盤ですから、この基盤は安定化させるのです。退屈さは、精神的に散漫で不安定ですから、土台としての習慣を続けていきましょう。

人生は、考え方によっては確かに退屈なものです。哲学者のパンセもそんなことを言っていました。でも、人間として決して悪い事ではないし、おかしな事でもないです。自然な事です。

ただ、退屈な感情は、不快で、つらさやだるさが伴い、どうやって過ごしていくかに迷いが出てきます。そんな時は、今回お話しした、挑戦、休息、習慣、の3つを意識してみて下さい。きっと前に進むことが出来ると思います。

継続中の習慣の振り返り。イラスト・瞑想・英語本

習慣は、人生や生活を形作る基礎だと考えているのです。今回は、最近まで特に継続している習慣について、振り返りをしたいと思います。

 

その中で、現在進行中の、瞑想、英語本、イラストについて、お話をしたいと思います。

 

まず、瞑想ですが、はじめてから二か月ほど経ちました。相変わらず、思考や記憶の断片まみれですが、この瞑想を通して、会社や日常的な事について、自分が考えている事、思っている事、感じている事を、客観的に認識できるようになっています。基本は毎朝10-15分、たまに夜数分、行っています。呼吸に集中するように行っていて、とてもリラックスできて、瞑想の程度はどうあれ、心身にはとても良いように思います。

 

そして、英語の本の本読みです。これも、毎朝30分程度会社に行く前に行っています。もうすぐ1年半継続している事になりそうです。仕事柄少し英語を扱うので、役に立ちますが、それよりも、英語の言語が、日本語の言語と異なるので、日本語だらけの日常とは違う頭の使い方をする事になるので、頭にとっては新鮮な感じでいいです。本読みに関しては、日本語版ですが、通勤中の電車の中でも読んでいます。

 

三つめは、イラストです。イラストを毎日描き始めて、3か月ほど経ちました。イラストは、iPadのアプリ「GoodNotes」を使って、アップルのApple Pencil 2という電子のペンで描いていて、インターネットにアップロードしています。描いてきたイラストを振り返ると、確実に絵の感じが変わってきている事が分かります。描いているイラストは、動物のイラストが多いです。最初の頃に描いていたイラストは、凄く線の少ない単純なものでしたが、途中から色を入れたり、背景を加えたりして、少しずつより複雑なイラストになってきました。描き始める時は、鳥なら鳥、魚なら魚と、描くものは簡単に決めますが、あんまり完成形を気にせず、描きながら、さらに付け足したり、場合によっては変更したりして、最終的には、想定していなかったイラストが出来上がったりします。最初の事はモノクロで描くつもりでいましたが、アプリで色を入れられる事に気付いて、何気に入れてみると面白い感じになったので、それ以降モノクロにはこだわらず、色付きのイラストをメインに描き続けています。イラストは自由気ままのスタイルで描いているので、とても楽しく、自分のイラストが進化していく様がとてもうれしく思っています。

 

他にも、毎日やっている習慣はありますが、上に挙げた三つの習慣はそれなりに続けることを意識してやっています。もちろん、今書いているこのブログも意識的に続けています。どの習慣も、振り返ってみると変化があったりするので、取り組んでいる習慣については、長いスパンで見るようにして、その時その時であまり判断しないようにしています。

 

習慣を続けると言っても、やはり波があって、毎日続けるのが大変な日もあります。でも、何とか継続するようにしています。これからも、これらの習慣を続けて、新しい気づきや展開を期待して継続していきたいと思っています。

瞑想により主体的自己を作る。対象や他者を観る・分離する

瞑想をはじめておよそ2か月がたったわけですが、なかなかうまくいっているように感じていません。そこで、自分が瞑想によって何をやろうとしているのか、見直しをしてみました。

 

瞑想をするときは、静かに目を閉じて、呼吸に集中するようにして、自分の内側を観るようにしています。内観しているという事でしょうか。脳のモードとしては、サリエンスネットワーク(SN)のモードになるように、自分の内面を、客観的に、ただ観ようとしています。瞑想では、このSNの脳モードを維持しようとトレーニングしているような感じです。

 

一体、SNの脳モードに維持して、自分は何をしようとしているのか。この事について考えてみたのですが、結論から言うと、「主体的自己」を作ろうとしているのではないか、という事です。今回は、瞑想により、主体的自己を作る、という事についてお話ししたいと思います。自分の中の対象や他者を観るという話と、対象や他者と自己を分離する、という話です。

 

瞑想をしていると、”思考や記憶の断片や雑念”に自分自身がまみれてしまいます。一方、SNの脳モードに自分を置く事によって、”客観的に自分を”観ようとしています。この事についてもう少し吟味してみます。この思考や記憶の断片や雑念とはないか、というと、自分の中の何かです。また、客観的に観ようとしているものも、自分の中の何か、です。つまり、SNの脳モードから観ようとしているものは、自分の中の自分の一部です。そして、SNの脳モードから観ようとしている主体は何かというと、自分自身ですから、”自分自身”が、”自分の中の自分の一部”を観ようとしている、という事です。この”自分自身”が主体的な自己、”自分の中の自分の一部”が客観的な自己、という事になるでしょうか。

 

実際、瞑想をしていると、このSNの脳モードの在りかというのがよくわかりません。それより、観ようとしている対象は、客観的な自分の一部である他者のようであり、その対象や他者を観ようとする事は出来るように感じます。このプロセスを考えると、まず、主体的な自己の在りかは定かではなく、むしろ、自分の中の自分の一部である対象や他者を客観的に観ようとする事によって、それを鏡のようにして反映して、主体的な自己が立ち現れてくる、という感じがします。つまり、”自分の中の対象や他者を観る事によって主体的な自己が作られる”のではないか、という事です。

 

次に、思考や記憶の断片にまみれている時というのはどういう事でしょうか。思考や記憶の断片というのは、ここで言うところの、自分の中の対象や他者のようなものだと思います。そして、まみれているものは何かというと、主体的自己という事だと思います。そう考えると、自分の中の対象や他者に、主体的自己がまみれているという事になります。そして、その状態は、対象や他者と自己が不明確になっている状態であり、感覚的に、瞑想が上手くいているように感じません。この事から、どうなったら瞑想が上手くいっていると思っているかと言うと、対象や他者と、自己が、明確に分離している状態です。つまり、瞑想では、”自分の中の対象や他者と主体的自己とを、明確に分離しようとする”、という事です。

 

最初の、”自分の中の対象や他者を観る事によって主体的な自己が作られる”の話から考えると、つまり、瞑想では、自分の中の対象や他者を客観的に観る事によって、それらと主体的自己を明確に分離し、その事によって、主体的自己を作ろうとしているのではないか、と考えられるように思います。

 

ここでお話しした、主体的自己を作るというのは、内省により、自己理解を深めて、自分に対するメタ認知を高める、という事と同じ事のように思うので、瞑想によりこれを実践していく事はやはり良いように思えます。

 

このように考えると、瞑想では、呼吸であろうが、思考や記憶の断片であろうが、雑念であろうが、自分の中の何かを客観的に観ようとする態度を続けていく事が、実践として良いのではないかと思います。またしばらく、このような意識で、瞑想を続けていきたいと思います。

人生が退屈。挑戦が足りない。

40歳を超えて、人生が退屈って思う事ってありませんか。私は、いつもではありませんが、たまにあります。そして、よく思うのが、挑戦が足りない、という事です。その時は出来ると信じていないような事を実際に挑戦してみると、以外と実現できてしまうという事があって、そんな時に、挑戦が足りなかったな、って振り返ってよく思います。

 

そこで、人生が退屈だって思ったときに、どういう風にして挑戦するか、考えていきたいと思います。

 

退屈だって感じたときは、上で今話しましたが、挑戦が足りないという事です。脳が、期待感がなくてドーパミンが出なくなっているような感じです。ドーパミンの枯渇で物足りないという感じです。今まで無意識に諦めていたようなことはないですか。どうせ無理だろうとか思って、やらずにしている事とか。考えないようにしている事とか。人生が退屈だって感じたって事は、人生もっとハードに生きないといけないっていうサインです。挑戦が足りないと言うとネガティブな感じがしますが、要は、挑戦をするチャンスです。今まで挑戦せずにここまで来たわけですが、ようやく挑戦するチャンスがやってきたのです。

 

そして、人生でやりたい事をについて、本気で考え始めるというという事です。もう40を超えていますから、身体の有限性にも気付いています。自分にとって出来ない事は出来ないという事も、何となくわかっています。でも、変に分かり過ぎていて、きっと、若い時みたいに、向こう見ずにやれなくなっているというのはあると思います。だから、ここでギアチェンジをして、ようやく挑戦するチャンス来たわけですから、本気になって考えてみましょう。きっとすぐには出てきません。内省する時間をたくさんとって、考える習慣を持ちましょう。また、無理気味に挑戦しましょう。挑戦と言っても結局無意識に制限してしまいます。だから、無理っぽいと思う事を、この歳になってあえて挑戦しましょう。もっと大きく風呂敷を広げて自分のやりたい事、考えてみましょう。

 

何か、挑戦に値するものが見えてきたら、それをすぐに実現しなくていいですから、少しずつ習慣を作っていくようにして、小さく進めていきましょう。それは、挑戦に値すると同時に、今の自分には出来なさそうなことでもあるわけですから、今すぐに出来なくてよいのです。実践は、基本的に習慣を作っていく事で達成していくものですから、少しずつ確実に小さくやっていきましょう。

 

人生が退屈っていうのは、40を超えてくるとあると思うんです。でも、人生は有限ですし、いずれ死にます。そんな事ももちろんわかっているわけです。だから、それは挑戦するチャンスが来たというサインであると気付きましょう。そして、本気で、今まで手を付けていなかった無理目の挑戦について考えましょう。挑戦する内容が見つかったら、すぐに実現しようとせず、習慣を小さく作って確実に進めていきましょう。

 

きっと、そうしていく事によって。退屈から挑戦に持っていく、良い習慣が出来ると思います。