毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

瞑想はじめて2か月。なかなかうまくいかない。

瞑想をはじめて2か月ほど経ちましたが、正直上手くいっているとは思えません。基本的には、毎朝10分から15分ほど目を閉じて、窓のそばで外に向かいながら椅子に座って行っていますが、それよりも、時折夜に行う数分の瞑想の方が心地よく感じています。

 

今回は、瞑想中に、何が上手くいっていないのか、振り返ってみたいと思います。

 

まず、色彩や音にまみれる、という事です。目を閉じて瞑想を行っていますが、太陽の光が瞼を通して多少入ってきます。目を閉じている状態で、明るい無秩序な模様というか、ぼやけた色彩が、呼吸で身体が動いているのもあって、変化し続けている感じで、その絶え間ない視界の変化をずっと見ているという感じになっています。何か静かに集中しているのとは違う感じです。

 

あと、家の中の周辺の音です。音には敏感で、空調の音や換気扇の音、その他色んな物音が入ってきます。落ち着いているのもあって感度は上がっていて、気になってしまいます。これも瞑想に集中できていない理由のように思います。

 

これらは、外から入ってくる感覚の情報についてですが、頭の中の出来事として、思考の断片や雑念にまみれる、というのがあります。考えないようにしようと念じると、その「考えないように」という考えを発端に何か考え始めている感じです。そして、気が付いたら仕事の事を考えていたり、それに気づいて、思考を停止しようとして、また別の記憶の断片や思考が現れてきたり、という感じで、思考や記憶の断片に覆いつくされてしまいます。せいぜい、瞑想の後に、今朝は仕事の事が気になっているんだなという気づきが得られる、というくらいです。

 

そして、サリエンスネットワーク(SN)に関してです。特に意識していない通常の脳のモードである、デフォルトモードネットワーク(DMN)と、意識的に考えたり判断したりするセントラルエグゼクティブネットワーク(CEN)の脳モード、これらを客観的に観ている脳のモード、サリエンスネットワーク(SN)に、自分の在りかを置こうとするのですが、自分の頭の中で起こっている事を見ようとしても、そのSNの脳モードの状態に持っていけないという事です。それどころか、DMNやCENの区別なく、それらにまみれているような感じになってしまいます。SNが、自己の在りかのように思っているのですが、その自己の在りかが安定せず、ずっと落ち着かずに、DMNやCENと同化したような感じで漂っている感じでしょうか。

 

どうも、朝は気忙しく、心身を静かに落ち着かせるには難しいのでしょうか。今のところそんな感じで、はじめて一か月に比べて、後半の一か月くらいは進歩していない感じです。どうも、もっとより具体的な戦略が必要な感じがしています。瞑想中に、どのような状態を目指すのか、もう少し考えを進めて、取り組んでいきたいと思っています。

 

ただ、瞑想をしないよりかは明らかに心身の状態は良いように感じているので、このまま瞑想の習慣は続けていこうと思っています。

快に基づいて主体的自己を作る

現代は、世の中はグローバルに、そして、インターネットでつながっていて、情報も多くて、価値観も多様な時代です。そのような複雑な時代の中で、何を軸にして、どうやって生きていっていいか分からない。そういう事ってあると思います。

 

人が色んな生き方をしていて、生き方は色々と選べるし、やりたい事ややる事をやるだけのものも、世の中に揃っている。でも、何を選んだらいいか分からないし、それが自分にとって本当に良いのかも分からない。世の中には色んなルールもあって、上手く合わせていかないといけないところもあるし、でも、合わせているだけでは全然自分が生きている心地がしないし…。今の時代、本当に、自分がどうやっていきていくか、難しいと思うんです。

 

今回は、今の時代、どうやって生きていくのが良いか、考えてみたいと思います。主に3つで、自分で決める、自分の快に基づく、主体的な自己を作る、についてお話しします。

 

まず、どうやって生きるかですが、社会や周りの人に合わせるのではなく、自分で決めるという事です。自分で決めるというのは本当に難しい。分かります。私も出来ていると自信を持って言えません。でも、人間というのは、自分からはじまるという、ある種、神の視点が重要です。人間社会がこのように生きるべきと言っているから自分はこう生きる、という時代は終わりました。イデオロギーの時代は疾うに終わっています。ニーチェも神は死んだと言っています。神が決めるのではなく、自分が決める時代です。そういう意味で、まずどう生きるかは自分が決める、というところを出発点にしましょう。人生とは非常にハードボイルドなものです。

 

そして、自分で、どうやって生き方を決めるのか。その軸は何かというと、「快」です。快不快の快です。自分の快に基づいて、どう生きるか決めるのです。楽しい、うれしい、心地よい、快適、そういう、自分にとって快につながるものを中心にしていけば良いのです。現代は資本主義社会が一応中心の世の中です。資本主義社会の原動力は何かというと、ドゥルーズガタリの言い方を借りれば、人間の欲望です。「アンチ・オイディプス」の本の中では、人間の事を、「欲望機械」と言っています。つまり、自分の欲望に従って生きていけばよいという事です。資本主義社会の体制下では、自分の欲望に基づいて生きていくと上手くいくようにできています。もし共産主義社会ではあれば、自分の欲望ではなく、皆と一緒に上手く生きていく道も模索されたでしょうが、事実人類史では失敗に終わりましたので、実効性はありません。まずは自分の欲望、つまり、自分が快と感じる事に基づいて、生き方を決めていくのが良いと思います。

 

自分で生き方を決める、そして、自分の快に基づいて生き方を決める、そしてそれをベースにして、主体的な自己を作っていくという事です。自己は、人間として産まれてしばらくすれば完成するものではありません。自己は常に変化し、進化して、創られ続けています。周りの影響を受けようが、自分で創ろうとしようが、いずれにしても自己は創られていきます。ですが、社会や周りに合わせていると、自己は、社会や周りを鏡のように反映したものとして、ただ適応するように、進化し形成していくだけです。それも一つの生き方からもしれませんが、自分の生き方をハンドルしていくのが難しくなると思います。ですから、世の中や周りはどうあれ、主体的に自己を作っていく、という意識で生きていく事が良いと思います。自己は常に変容していきます。死ぬまで変容していきます。言い方を変えると、変容可能です。だから、何歳からでも、主体的自己を獲得しようと試みる事は可能です。

 

いかがでしょうか。この世の中、本当に複雑で、飲まれやすく、生きる指針を見失いがちです。むしろ、見失っている人の方が多いのかもしれません。でも、その事に疑問を持った時、また、どうやって生きていったらよいか分からなくなった時、上に挙げた3つポイントで考えてみるのはどうでしょうか。まず、生きる事を、「自分で決める」という覚悟を持つ事。そして、自分の「快」に基づいてそれを軸にして生きていくという事。さらに、死ぬまで変容可能な自己において、主体的自己を作っていくという意識を持つという事です。これを軸にして生きていけば、自分らしさを持って生きていく事が出来ると思います。人生はハードボイルドです。

確かな「快」を基礎に習慣を作っていく

習慣というのは、自分の生活や人生を形作っている実体です。習慣には時間軸もあって、過去から現在、現在から未来に向かって、様々な習慣を継続していく事によって、生活や人生は進んでいきます。そのくらい、習慣は大事です。

 

ですが、どうやって、自分にとって良いと思う習慣を身につけていいか分からない。作っていけばいいか分からない。そういう悩みってあると思います。

 

せっかく新しい習慣を思いついて続けてみても、すぐに飽きてしまったり、自分にとっては役に立たないと感じたり。だからと言って、何らかの習慣を続けなかったら、いつまでも自分自身に何も積み重ならなくて、振り返って、何でもいいから習慣として続けておけばよかったと後悔する事もあります。一体、どういう軸で習慣を考えて取り組んで行けばいいんでしょうか。

 

そこで今回は、習慣の作り方という事で、自分にとっての確かな「快」を基礎にする、そして、その「快」に基づいて習慣を作っていく。というお話しをしたいと思います。

 

まず、自分にとっての「確かな快」が大事です。確かな快とは、自分が本当に、心から、心地よいと感じる事、快適と感じる事です。

 

快には、色んな種類があって、インターネットでアマゾンなどをサーチしながら、「これ欲しい!」と思って、買いたいという欲求が急激に高まって、ワンクリックする。これもある種の快です。そして、商品が届いたころに後悔する。衝動買いというやつです。衝動買いはお勧めできませんが、快には個人差があるので、どれも基本的には否定しません。でも、あまり衝動的に飛びつくような快ではなく、自分が落ち着いていて、静かに、「快」と思う事を自分の快と考える方が良いと思います。

 

また、柔らかいソファの上に座って、クッションを抱きしながら心地よく過ごす。これも快です。

 

もちろん、快とは感覚的なものだけでなく、うれしい、楽しい、のような感情も快だと思います。自分がどういう時に、そのような穏やかな快を感じるのか。非常に大事です。

 

動物的な、感覚、感触に近い快もあれば、概念も含むような自ら心地よいものとして価値づけたものも快と言えるかもしれません。人の美しい行為や態度、考え方なども、ある人にとっては見ているだけで凄く快を感じるかもしれません。

 

そのような、自分にとっての確かな快とは何か、について、時間をかけて、ゆっくり考えてみましょう。これは意外とすぐには気付かないかもしれません。自分の事なのに、意外と自分にとっての確かな快とは気づかないものです。でも、時折、確かな快を感じる時があります。それを逃さずキャッチできるととても良いです。でも、そんなに簡単ではないですから、日頃から、自分の確かな快とはなんだろうと思いながら過ごして、静かな時間を取ってゆっくり自分の快について振り返ってみて下さい。

 

そして、確かな快に気付けたら、それに基づいて、習慣を作っていく事です。ただ単に、その確かな快を感じる習慣を行っていくようにするという事です。

 

色んな種類の確かな快が、人それぞれにあるので例を出すのは難しいですが、例えば、自分にとって、人と接するときに、お互い気を遣い合って暖かくて優しいコミュニケーションをとるようにしていると凄く心地が良いという場合は、そういうコミュニケーションになるように、人と話をする習慣にしていく、さらに、人間関係を構築していく、そういう事を習慣にしていくというが良いという事です。これが習慣になれば、人とコミュニケーションを取る事が心地よいですから、日々楽しくなってきます。こういうのは、素晴らしい習慣だと思います。

 

例えば、朝、喫茶店に寄って、コーヒーを飲みながら静かに本を読んだり、物思いにふけったりする。これが自分にとって凄く心地よいという事もあると思います。その場合は、毎朝喫茶店に寄って、心地よく過ごすというのを習慣にすればよいと思います。その習慣は継続できるでしょうし、豊かな時間を過ごせますし、豊かな生活を形作ってくれます。

 

こんな感じでしょうか。自分にとって良い習慣を作りたいと思う時は、自分にとっての、心から感じる「確かな快」を発見してみて下さい。そして、その「確かな快」を大事にしてそれに基づいて習慣にしていってください。その習慣は継続できますし、自分の生活や人生を楽しく豊かにしてくれます。ぜひ、習慣作りに困っている人はトライしてみて下さい。

生活に飽きてきたら。瞑想・内省・新しい習慣

生活に停滞感を感じていませんか。そして、毎日の生活に飽きてきていませんか。

 

仕事や家事も毎日しっかりやっていて、生活が上手く回っているような気がするのに、何か生活に停滞感を感じる、飽きを感じる。そういう感じって、あると思うんです。

 

退屈。暇。何か、そういうのは、生活が平坦になって人生がつまらなくなっているのではないか、と不安になったり、焦ったりするかもしれません。でも、案外悪くもなくて、むしろ、生活を新しくするチャンスです。以前の段階では、習慣を立て直したり、頑張って継続したりして、生活を作っている状況だったのかもしれませんが、今は飽きを感じている。つまり、習慣が十分に安定してきた、という事を意味しているかもしれません。そういう意味で、この停滞感や飽き、退屈は、良いサインと言えます。

 

そこで、そういう時はどうするか。考えてみたいと思います。瞑想、内省、そして、新しい習慣について、お話をしたいと思います。

 

まず、飽きを感じ始めたら、無理に何かをはじめようとせず、瞑想をしてみましょう。周りを静かにして、目を閉じて、呼吸に集中して、瞑想してみてください。きっとリラックスしてくると思いますし、何か辛さを伴っていたような飽き感、退屈さが無くなって、焦りもなくなってきます。そして、身体や心も落ち着いてきて、整ってきます。

 

そして、そのまま、内省してみましょう。静かに自分に向き合って、生活に停滞感を感じている自分、生活に飽きている自分を認めて、受け入れましょう。むしろ、飽きてきたことは前に進むチャンスです。そして、何故飽きてきたのか。そして、本当は何がしたいのか。また、新しい事を取り組むのに何が弊害になっているのか。そういった色んな事を自由に思いめぐらせてみましょう。色々問題に気付くかもしれませんし、新しく取り組みたいと思っていた事を思い出したりするかもしれません。

 

そうやって、瞑想して落ち着いて、内省して自分に向き合って、新しく取り組みたい習慣のアイデアが出てきたり、思い出したりしたら、早速、実際に今の生活習慣の中にどのように新しい習慣を取り入れていくか、考えていきましょう。無理に取り組む必要はないし、実は今の生活の何かを修正する方が先かもしれません。そういう事も含めて、今生活を形作っている習慣の見直しをしてみましょう。そして、余裕があれば、新しい習慣を取り組む事を検討しましょう。すぐに始める必要はなくて、むしろそこまで準備出来たら、その日はそれで十分です。

 

いかがでしょうか。生活の停滞感、生活に飽きてきた、というサインは決して悪くありません。楽しみを求めている証拠ですし、本当に新しい習慣を取り入れるチャンスです。

 

ですから、まず、瞑想に取り組んで落ち着いた状態に自分を導いて、そして、内省して自分に向き合ってみて下さい。それから、新しい習慣を、今形作っている生活習慣の中に、どのように入れていくか、考えてみましょう。それだけで、もう先へ進むには十分です。飽き感を肯定的に受け入れつつ、それから、新しい習慣をゆっくり取り入れていきましょう。

眼鏡サラリーマンの頭痛対策。眼軸長は伸びる。

眼鏡をかけて仕事をしているサラリーマンへ。頭痛持ちではありませんか。私は頭痛持ちです。会社に入って特に頭痛になるようになりました。悪い時は吐き気も伴って、そうなるともう仕事になりません。

 

最近、眼精疲労と頭痛の関係について調べていると、眼球の角膜から網膜までの距離である眼軸長が伸び、それが頭痛の原因になるという話を知りました。

 

私の場合は、高校生くらいから近眼になって眼鏡をかけるようになったのですが、一方で、歳ととともに、頭痛持ちになってしまいました。特に30代に入って以降頭痛はきつくなり、今は40代ですが、色々と身体に気を遣うようになり、運動をしたり、生活習慣を整えたりとするようになった事もあって、その頃に比べればかなり軽減しましたが、それでも、時折頭痛に苛まれています。

 

そして、3日ほど前にまた相変わらず頭痛で困っていたのですが、眼軸長が伸びる事が頭痛に関係があるという事を知って、それ以降上手く頭痛を抑制できているように感じます。まだたったの3日なので、何とも言えませんが、それに関する事についてお話ししたいと思います。

 

まず、頭痛の原因について私の場合についてお話しします。上でお話ししたように、高校生くらいから眼鏡をかけるようになり、それからも視力は低下していって、眼鏡はより近眼用のものに変わっていきました。通常、眼球の水晶体から入った光の像は、眼球の奥の網膜のところで焦点を結ぶわけですが、近眼の人は、その焦点が網膜よりも手前で結んでしまう為に視界がぼやけてしまいます。なので、それを補うために眼鏡をかける事で、焦点までの距離を伸ばしています。ですが、パソコンのディスプレイやスマホは、眼鏡が想定しているより近い距離にありますから、さらに焦点までの距離は伸びる事になります。そうなると、眼鏡をかけている事で視野がぼやけて見えなくなるわけですが、眼鏡はかけたままでスマホを見ているわけですから、その焦点位置までの距離を伸ばすために、眼球の眼軸長が伸びるというわけです。つまり、眼球が大きくなるというわけです。これにより、目の奥に眼球が圧力をかける事で、頭痛の原因になったり、さらに三叉神経に影響して吐き気を伴ったりするわけです。近年、眼鏡をかけている人は多いですし、パソコンやスマホを使用している人も多いですから、このような事で引き起こされる頭痛を経験している人は多いのではないかと思っています。「目の奥が痛い」、「目の奥がきつい」という感じは、この事ではないかと思っています。

 

そこで、この事に気付いてたった3日ですが、いくつかの対策によって今のところ頭痛を軽減できています。

 

ひとつは、仕事でパソコン作業をするときは、極力早めに休憩を取るようにしています。30分くらいしたら、休憩するという感じです。パソコンでの作業中は、目はディスプレイまでの一定の短い距離に焦点を合わせ続けていて、かなり集中して緊張していますから、眼球への負担は大きいと思います。なので、その目の緊張を緩和するためにも休憩する事は重要です。

 

そして、スマホを見る時は眼鏡を外すという事です。私の場合、スマホを見る時は目から20cmくらいの位置で見ているような気がしますが、正直裸眼でもこの距離なら見れます。パソコンの作業の時も、たまに外しています。

 

3つ目に、休憩の時は遠くを見るという事です。遠くを見る事で目はさらに休まります。

 

また、眼鏡を外して休憩するのも目が休まります。遠くはあまり見えませんが、窓から山などの自然をぼーっと見ようとするのは良いと思います。リラックスもできます。

 

とりあえず、そんなところでしょうか。でも、このような対策を働いているときや自宅にいる時にしていると、頭痛にならずにすんでいます。

 

この、眼軸長を意識した頭痛を軽減する対策をしばらく続けていこうと思います。そして、頭痛が起こらなくなったり、それに関連する何かがわかったりしたら、またお話をしたいと思います。

 

眼鏡サラリーマンの皆さま。ぜひ、眼軸長の事を念頭に置いて、頭痛対策をやっていきましょう。頭痛から解放される日がきっと来るはずです。

疲れている夜は寝るまでにリラックスして過ごす

仕事から帰ってきて寝るまでの時間、疲れを感じるけど、今のうちに何かをしよう。せっかくの夜の空いた時間だから何かをしておこう。そんな風に思ったりしませんか。でも、疲れている夜は、無理に何かをしようとせずリラックスして過ごす。凄く大事な事です。

 

特に、仕事などで帰宅した後も、仕事の事が頭に残っていてもやもやする、落ち着かない。あると思うんです。でも、せっかく早めに帰ってこれたし、寝るまで時間があるし。でも、何をしたらいいか分からない。疲れているから、頭も回らない…。

 

そういう時は、せっかく疲れているんだし、身体は休んでよいというサインを出している。休むべきです。疲労から頭ももやもやして落ち着かないかもしれないけど、何もせず、寝るまでリラックスして過ごす。そこで、今回は、寝るまでリラックスして過ごすという事についてお話しします。

 

まず、努める事は、”沈黙”です。家族の人が周りにいても、しゃべらない。しゃべると、頭が考える事をはじめて落ち着かなくなります。思っている事を口に出さないようにする。これは、落ち着きたい時にはとても重要です。

 

そして、内省する事です。ゆっくり自分に向きあって、今日一日何があったか、仕事で何があったか、何を考えていたか、楽しかったことは何か、嫌だったことは何か。上で、喋らないという事を指摘しましたが、口に出さず、その代わり、落ち着いて内省して、ゆっくり今日の出来事について思い巡らせてください。色々あったと思います。それでだけで十分です。ついでに、ハーブティでも飲みながらゆっくり内省すれば、とてもリラックスできます。

 

内省に取り組むとき、冷静でいる事は大事ですが、冷静な状態に持っていくのは、ゆっくりした呼吸、深呼吸が有効です。呼吸は、酸素の取り込みだけでなく、頭への血流の改善や脳脊髄液の循環を良くします。そして、自律神経を整えます。呼吸に集中する事がリラックスへの入り口です。

 

さらに取り組むなら、呼吸瞑想です。私は毎朝瞑想をしていますが、夜も瞑想をする事があります。数分の呼吸瞑想で十分です。夜は疲れていますから、呼吸瞑想の取り組みはリラックスを促進して眠くなることもあります。でも、それはそれで良いと思っています。慌ただしい夜を過ごすよりも、瞑想に取り組んで眠くなる方が、よほどリラックスできて良いです。

 

いかがでしょうか。沈黙して、内省する。そして、呼吸を意識して、さらに呼吸瞑想に取り組む。どれも、リラックスを促進します。そして、より眠りにもつながります。せっかく早く帰ってきたのなら、早めに寝てもいいと思います。疲れている夜は、無理して何かやろうとせず、リラックスして過ごすのが良いと思います。明日につながります。

新しい習慣を始める前準備。振り返り。見直し。スペース。

生活が平坦になってきた。退屈になってきた。何かを変えたい。何かを始めたい。そういう事を考えたりしませんか。

 

人生はいつも思うように劇的に変化するわけではないですから、毎日行っている習慣を少しずつでも刷新して、新しい習慣を取り入れたい。でも、何をやったらいいか分からない。何から始めたらいいか分からない。あると思うんです。日頃から、あれがしたいこれがしたい、って考えていたはずなのに、いざ何かを始めたいって思うと、それがなんだったか覚えていない、または、本当は何がしたかったかよく分からない。

 

そういう時は、今日までに行っている習慣の振り返り、見直し、そして、新しい習慣を始める為のスペースはあるか、について考える事が大事です。

 

今回は、新しい習慣を始める前にする準備にしてお話ししたいと思います。

 

まず、習慣の振り返りです。例えば私の場合だと、朝のテレビ体操、英語の本読み、スクワット、瞑想、イラスト、ブログ、などです。放送大学の勉強もしています。そんな感じで、今日までの行っている習慣について思い出してみましょう。それぞれについてどんな感じなのか、上手くいっているのか、飽きてきているのか、色々あると思います。一つ一つの習慣についてそれらの現在の状況について、感情や気分も含めておさらいしてみましょう。

 

そして、それらの習慣の見直しです。この習慣は上手くいっているから、今のまま続けたい。または、上手くいっているわけではないけど、このまま続けたい。みたいな感じでしょうか。私は、瞑想をもう2か月弱毎朝行っていますが、そんなにうまくいっているわけではありません。でも、効果も少し感じるので、今のまま継続していきたいと思っています。その他、この習慣はずっと継続しているけど、停滞感があるから少し改善したい。より精度を上げたい。そういう習慣もあると思います。逆に、この習慣はもはや意味がなくなってきている。続けてきついだけだし、かなり無理をしている。やめた方がいいかも。そういう習慣もあると思います。そうやって、ひとつずつ、習慣の状態を見直して、そのまま継続するもの、改善するもの、やめるもの、修正して少なくするもの、整理してみましょう。

 

最後に、上で挙げたような習慣を色々と整理していったとして、時間的に、新しい習慣を日常の中に入れられるか。毎日の、もしくは、毎週の生活習慣の中で、新しい習慣を取り入れる余裕はあるか。そういった、時間的なスペースについて考えてみましょう。そして、実際に、仕事や家事などの毎日の生活の中で、精神的な、心の余裕といったスペースはあるのか。考えてみましょう。そういう風にして、具体的な日常をより実態に合うように想像して、新しい習慣を入れるスペースがあるのか。考えてみるのが良いと思います。

 

このように、新しい習慣の前準備を行う事で、新しい習慣を作っていく、より現実的な準備が整ってくると思います。そして、自然と、こんな習慣に取り組みたい、と思う事が出てくるようになると思います。

 

いかがでしょうか。新しい習慣を取り入れたい時は、焦らず、自分の自然に任せるようにして、上のステップをやってみましょう。習慣の振り返り、見直し、そして、スペースはあるか。そういった事を、丁寧に考えていくと、自ずと新しい習慣を始める準備が整ってきます。焦らずやってみましょう。