毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は常に展開可能性がある事が好き。それは希望であり、自由であり、生きる事である。

人は、常に展開可能性がある事が好きだと思います。いつでも、展開する余地がある事が大事なんです。

 

それは、希望という意味なのかもしれません。常に、これから先、希望がある状態にしておきたい。そういう生き物だと思います。きっと何か良い事がある。良い事が起こる。そういう希望が感じられる状態にしておきたいと思っているわけです。

 

それはまた、自由と言ってもいいかもしれません。閉じている状態ではなくて、常に自分には何かこの先、開いている状態であるべきであって、そこから自由に飛び出していけるような状態が大切なんだと思います。

 

閉じ込められた状態は好きじゃないし、希望が無く絶望的なのはもちろん大嫌いだし、展開可能性が全く無いのももちろん大嫌いです。

 

いつだって、変わる余地がある。そういうのが好きなんだと思います。それが、どう変わっていくのか、それは分からない。でも、それは分からなくたっていい。それより、変わっていく可能性がある事、変わっていく余地が残されている事が大切なんです。

 

これから先の事はいつも不安だし、いつも心配です。予定通りになってほしい。その意味で、予定調和的な未来を望んでいるような気がするわけです。ですが、実はそうじゃないんです。予定調和が良いと見せかけて、やっぱりそれではだめなんです。それだと、心は死んでいくように感じられるわけです。

 

いつだって、変化が欲しいし、言ってしまえば、予定されたはずの未来が変わってしまったって、それはそれで問題なく生きていけるんです。予定通りなんて、実は怖くてしょうがないんです。

 

生きているとは、きっとそういう事です。いつだって展開可能性は残されていて、それがどこに行くか、そんな事はどうでもいいんです。展開可能性が無ければ、窒息しそうになって、死にそうになってしまうんです。死に至るんです。

 

人は生きているために、生きている事を実感するために、展開可能性はいつも確保していたいし、希望を感じていたいし、自由を感じていたいんです。そして、閉じていたくなくて、閉じ込められていたくなくて、動きが無いのは嫌なんです。いつでも、動き出せる。そういう状態でありたいんです。

 

人は常に生きているし、生きている事を実感したいんです。その為には、常に展開可能性がある事がとても大切です。それは希望という意味でもあり、自由という意味でもあります。そういう状態であれば、人は常に生きていく事ができます。