毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

今、何に注意を向けるか。幸せに生きる為には必要。

人はどうしても先の事ばかり考えてしまいます。未来の事ばかり考えて、その未来の事にいかに今から備えるか、そういった事ばかり考えてしまいます。

 

人間は確かに、自動予測する能力を持っているから、どうしても、自然と、未来の事予測してしまって、それにいかに備えるか。そのように考えてしまいます。ごく自然な事です。ですが、それだと、ずっと、今を未来の為の今として生きる事になってしまいます。

 

備えというわけですから、それは、何か危険に対する備えのような事になってしまって、常に警戒心をもって生きているような感じになってしまいます。警戒心を持ち続けるのは、精神的にはきつい事ですし、幸せ感からは遠い感じになってしまいます。

 

そもそも、何のために警戒し、何のために生存しようとしているのか、という事になってしまいます。

 

警戒心は、割と簡単に向けられる「注意」の1つと言えますが、確かに、動物全般、哺乳類にも特に備わった能力であって、その能力が今を生きる事に大いに役立っている事は言うまでもありません。

 

ですが、その生存戦略では、まさに生存する事に特化していて、幸せの方向にはなりません。

 

「注意」は身体に備わった強力な機能であって、無意識レベルで常に発揮されています。注意を向ける行為自体は、特にストレスなく、容易にできます。ですから、意識的に何もしていなければ、警戒する事に対して注意は向けられるし、未来への備えに向けられるわけです。

 

動物は、未来に備える事で、未来を予測する事で、「今」を獲得したとも言えます。今を生きる事を獲得したと言えます。

 

今という生きるスペースに対しては、明らかに、放っておいても機能する注意とは異なる注意を使い方が重要です。

 

注意は、元々は、未来の為に使われる機能、もしくは、警戒心や危機に使われる機能であって、今を生きる事の為に使われるものではありません。

 

ですから、意識的に、今に注意を向けてあげなければ、今を生きる事は出来ません。

 

幸せは今をどう生きるかにかかっています。ですから、この注意力を、いかに今に向けるか、そして、今、何に注意を向けるか、その事が、幸せに生きる事においてとても大事なわけです。

 

もちろん、未来や危機に対して注意を向ける事は怠る事はできません。ですが、それだけでは、幸せに生きる事も出来ません。だから、未来や危機に向けてきた注意の配分を、今の何かに分ける必要があります。

 

今、何に注意を向けるか。その事が、幸せに生きる為には重要です。ただ単に注意を向ける事を放っておいては、それはただ生存するだけになってしまいます。その注意のいくらかでも、今に向ける。今の何かに向ける。とても大事です。