毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身近なものを大切にする。

身近のものを大切にする。月並みな言い方ではありますが、そう思います。このご時世、メディアの影響が大きく、というか、もはや大きいとも感じられないほど普通の事となってしまって、本来身近でないものが身近なものと感じられて、もう何が身近なのか分からなくなってしまっています。

 

インターネットから入ってくる情報は、大半は身近なものではありません。身近な人たちではありません。ですが、身近なものだと錯覚してしまっています。現代では、確かに普通の事となっています。

 

本来身近でないものを、自分の身近なものと思い込んで、それを身近なものとして生きていくと、生きていく事自体が本来身近ではないものとともにある事になります。身近ではないものは、インターネットで登場するものを見れば分かるように、何かと目立つものであったり、凄く感じられるものであったりするので、いつも自分はそれに及んでいないように感じられます。

 

身近なもののはずのものが、自分からは格段にかけ離れた、凄いもののように感じられるわけですから、常に自分は足りないという観念でいっぱいになります。

 

でも、それは本来身近ではないものです。そのようなものばかり意識して生きていても、それは実感のない人生のままになってしまいます。

 

身近なものは、本当に、すぐそばにあります。身近なものは、本来身近ではないインターネットからの情報のように、表面的なものではありません。身近なものは、奥が深く、多彩で、手ごたえがあり、感触があり、よりリアルで、そして、さりげなくそこにあるものです。

 

それは、目立つものでもなく、凄いと感じせるようなものでもありません。

 

ですが、そのような身近なものこそ、注意深く見るべきです。注目すべきです。手応えのある身近なものをもっと近くに感じるべきです。

 

本来は、身近なものだけで十分なはずです。身近なものに触れ、身近なものとともに生きる。それで十分です。

 

身近なものとは、人かもしれませんし、実際のものかもしれませんし、場所からも知れません。家の中かもしれませんし、職場かもしれません。よく行く近所のお店かもしれませんし、毎日通勤に使う電車かもしれません。とにかく、ありとあらゆるものが身近なものとしてリアルにすぐそばに存在しています。

 

そういうわけで、遠くのものばかり意識せず、自分にとっての身近なものをよく見て、よく気付いて、注意深く観察して、大切にする。人生とは、そういう事です。