毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

諸行無常の世界の中で、好きなように生きていく。

諸行無常の世界の中で生きていくという事は、常に移り変わる世界の中で生きていくという事であって、それを上手くやっていく為には、常に移り変わる世界に上手く自分を合わせて、その一部となれるように生きていく事だと思います。

 

自分は世界を構成する一部なのですから、自分自身も常に移り変わるという事を忘れてはなりません。その上で、自分自身も常に移り変わりながら、同時に常に移り変わる世界とともにあるという事です。

 

ですが、ただひたすらに周囲とともに移り変わり続けるだけでは、周りに流されるだけになるかもしれないし、場合によっては、周りとともに悪い流れに流されてしまうだけかもしれません。常に世界は有機的であるべきだし、生の営みになっているべきだと思います。悪い流れとともに死に絶えてはどうしようもありません。

 

好きなように生きていくとはどのような事でしょうか。好き勝手に生きるという事でしょうか。それが可能ならそれもありかもしれませんが、諸行無常の世界の中では、単に好き勝手に生きる事は難しいように思います。常に移り変わる世界の中で自分だけがその移り変わりに逆らうような生き方をしようとすると、きっとそれは上手く生きていけないものになると思います。

 

好きなように生きる事を可能にするのは、諸行無常の世界の中である事を前提とします。自分も当然その世界の一部ですから、自分自身が世界とともに移り変わる事に逆らうように好き勝手生きる事は出来ません。ですから、移り変わる世界とともにありながら、その事が自分にとって好きな事であるように生きるという事だと思います。

 

その意味では、常に移り変わる世界とともに自分自身が移り変わる事が、そのまま好きに生きるようになるという事を言っているのかもしれません。つまり、世界とともに常に移り変わる事が、自分の好きな生き方という事です。

 

その生き方が好きになるという事は、常に移り変わる世界をよく見て、よく知って、それと一緒に居て、それとともにある事を好きになるという事です。完全に、常に移り変わる世界に身を置いて、身を任せて、まるでその一部のように心地良く漂うという事です。

 

そんな生き方は可能なのか。諸行無常は、世界の常であるし、自分自身の常でもあります。世界と自分自身とがより良く関係し、その関係性が潤滑油のごとく滑らかであるなら、それは自分自身が心地良い世界の一部になれているという事です。きっと可能だと思います。