毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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自分にとっての真の欲望は何なのか。「欲望機械」

この資本主義社会のシステムを「欲望機械」であると示したドゥルーズガタリ。人間も漏れなく欲望機械であり、このシステムが根底にあって自分たち人間も、人間たちが作る社会システムも、これに基づいて回っている。そう思います。

 

その意味でも、自分が現代の社会を生きていこうと思う時、自分の欲望とはどのようなものなのか、自分と向き合ってきちんと考える必要があるように感じます。自分にとっての真の欲望とは何なのか。

 

この場合、欲望とは、自分をドリブンする力のようなものです。自分の内部にあって、それがあれば自分自身を持続できるようなもの。それが欲望です。

 

その欲望は、自分以外の外側から調達するようなものではありません。自分の外部にあるものを獲得する事で得られるようなもの、人からの評価や社会からの評価、承認と言ったものは、真の意味で自分自身を支えません。ここで言う欲望とはそのようなものではありません。

 

その欲望は、自己完結するようなものです。自分の内部にあって自分で充足する事が出来て、それを実践する事で喜びを得られるようなものです。

 

そして、自分の中で循環性のあるようなものです。自分の中で、その欲望に従う事で自分自身が循環でき、自分の生命性を感じられるようなものです。循環性がないと人間は死に至ってしまいます。精神は死に至ります。そうではなく、循環性をもたらし、生をもたらすようなもの。それが、ここで言う欲望です。

 

欲望機械とは、工場のシステムのようなものですから、そして、そのシステムは生命のようでもあるわけだから、ずっとその工場は動き続けています。循環性とはそのような意味です。欲望の生産工場は、自分の内部で循環し、絶え間なく生産活動を可能にし、生き生きとしたものであり、生そのものです。

 

自分の欲望で自分自身を成り立たせるような、自分自身の生命維持装置であるような、そのようなものこそが欲望であり、それをちゃんと自分自身で掴む事が大事です。その意味で、自分の欲望は一体何なのか。真の欲望とは何なのか。それはきっと、炎のように絶え間なく、命が宿っているようなものであり、穏やかなものであり、川の流れのようなものであるかもしれません。いずれにしても、そのような自分にとっての真の欲望を見定める事です。

 

見間違えてはいけません。真の欲望ではないものは、その火を絶やさず燃え続けさせるものではないし、穏やかでもなく、川の流れも止まってしまうようなものです。そうではなく、自分の底流に流れる安定したものこそが真の欲望です。