毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自律的である事は生きている事であり、生命である。

自律的であるというのは、生きている事を充実する事において大切な事だと思います。

 

自律的であるというのは、自治的であるという事とも似ています。社会システムであれば、その社会が自分たちで組織を維持している状態を意味していて、そのような意味で、自分を自分自身で自治的に維持する、そのような事です。

 

自律的であるという事の反対の意味は、ここでは、依存的であるという事に似ています。何かに依存する事で、自分自身を成り立たせるという事です。自分自身が何かに依存していなければ、自律性は維持できない。そういう状態です。それが、自律的であるというのとは反対の意味です。

 

その意味で、自律的であるというのは、独立しているとも言えます。これも、自立しているというのに似ています。独立する事は、人にとって色んな場面で困難ではありますが、そうあろうとする事は、より生きようとする事につながります。

 

自律的であるという事は、自分自身が自律的である為に、何か自分自身を維持する仕組みのようなものを内蔵しています。自分なりの機械仕掛けを持っているような状態です。自分に基づいた機械が動いていれば、とりあえず自分自身を自律的に維持する事が出来ます。機械仕掛けというと、ニュアンス的に、生き物ではないような感じがしますが、自分自身で自分の中に自分が生きていける仕組みを作り出したある種の知恵です。それは、自分なりの努力の末に得たものであり、自分だけの自律の基礎です。

 

自律的であるというのは、ある意味、自己完結した仕組みを持っているというのに似ています。自分以外のものを必要とせず、自分自身を維持できているわけですから。ある意味、内向き志向のようでもあり、内向的なようでもあり、孤立しているようでもあり、でも、それで十分自分自身を維持できます。たとえ孤独だとしても、独りで十分です。

 

生命とは、生きる為の仕組みを内蔵していて、そして、生命の活動を維持し続けています。その仕組みは多様で、複雑です。そうであるがゆえに、自律的である事を実現できています。

 

逆に言えば、そうであろうとしなければ、生命性は失われてしまいます。何かに依存しなければ生きられないわけですし、独立してしまえば、生命ではいられないわけですから。

 

自律性を失えば、他の何かに依存し、一体となって、何かの一部になります。せいぜい、何か他の個体の生命の一部です。自分自身が1個の個体としての生命であろうとするなら、それは自律的であるはずです。

 

そういうわけで、自律的である事は生きている事であり、生命である事を言っています。