毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

アプリオリな生きる状態として、「休む」事が生きる目的。

毎日の仕事、忙しい日常、世の中の情報の騒がしさ、疲れている、ストレス、色んな事が関係しているのか、ゆっくり休みたい、心が休まる場所が欲しい、というような事があります。

 

生きているという事に関して、「休む」という事がまるで生きる目的であるという、変な表現ですが、それが生きる目的になっていると感じます。

 

休みたい、安らぎたい、癒されたい、くつろぎたい、心地良く過ごしたい、というような事をいつだって求めています。

 

「そんな事はいつでもできるじゃないか」と思えそうですが、生きているとそうはいかないという現実があります。例えば、「仕事に疲れているなら仕事を辞めたらいいじゃないか」と言えるわけですが、そんな事をしたら、とたんに収入が無くなって生計が立たなくなって、生活が出来なくなってしまいます。それこそ、生きていけなくなくなって、休むどころではなくなります。

 

なので、生きていく、生存していく為には、仕事をして収入を得ないといけないわけで、仕事は辞められない、そういう事になります。そして、同時に、仕事に忙しく、疲れていて、ストレスを感じているから、休みたい、安らぎたい、癒されたい、という風につながります。

 

生存していく為というか、それ以前に、生存していこうとしようがしまいが、生きているわけで、その時点ですでに、休みたいわけです。

 

そして、「休みたい」という事の為に生きている、となります。一体、何の為に生きているんだという感じですが、繰り返しですが、休む事の為に生きているという状況なわけです。

 

生きるという以前の状態として、前提として、「前生きる」状態として、つまり、アプリオリな生きる状態として、十分に休めていなくて、十分に安らげていなくて、十分に癒せていないわけです。実質的に生きるという以前の目的として、休む事、安らぐ事、癒される事、くつろぐ事、心地良く過ごす事が、生きる目的になっているわけです。

 

このように考えていくと、「安全」「安心」を求めている、これがひとつの生きる目的と言えると感じます。

 

そして、「安全」「安心」な暮らしやそういう時間を、日々の生活の中にいかに作っていくかが大事なんだと感じます。

 

以前に猫を飼っていましたが、猫はいつも休んでいて、安らいだ状態にあるのが大好きなように思います。いつも家の中でゴロゴロしていて、心地良くくつろぐのが大好きで、そして、それがとても上手なように思います。何か気になることがあると、それに注意を向けたり追いかけたりしますが、注意がそれたらすぐに気を抜いて休み始めます。

 

そういう意味で、猫と同じなんだという気がしてきます。アプリオリな生きる目的として、休む事が目的だという事、休むために生きているという事です。