色んな事が分からない。どうしたらいいか分からない。分からない事尽くし。こういう事ってよくあると思います。人間って、そもそも何にも分からない生き物ですから。
人間は神ではありませんから、色んな事が分かりません。色んな事を明らかにしてスッキリしたいのですが、残念ながら全然分かりません。
ソクラテスの名言に、「無知の知」というのがありますが、まさにその通りで、その通り過ぎて、この名言がソクラテスの名を歴史に刻んでしまいました。人間として、無知であるという事を知る事こそが偉大なわけです。逆に言えば、自分たち人間が無知である事を認められないのが、普通の人間というわけです。そのくらい、人間は何にも分かりません。
「分からない」という事は、人間にとって大変な不安を与えます。不安だからこそ、その原因を明らかにしようとして、四苦八苦するわけです。不安の解消は、人間のモチベーションになります。
人類にとって、科学は、発展させてきたものの中で実行力のあるもののひとつと言えます。科学的態度とは、何事に対しても疑う態度を忘れない事ですが、この疑う態度は、いつだって分からない、いつだってその対象が不明だからこその謙虚な態度なわけで、だからこそ、多くの事を実証してきたわけです。そして、実行性ある科学を積み上げてきたわけです。何事に対しても、分からない人間だからこその偉業です。
分からない事は、それを分かるようにする為の「問題」を打ち立てます。そして、人間はその問題を解決する事を、生きる目的にします。人間は問題を解決しようとする生き物です。問題が解決されれば、また他の問題を打ち立て、そして解決する。次から次への問題を解決する。それが人類です。つまり、それは人間が分からない事だらけ可能なわけです。人間の活動は終わる事を知りません。
分からない。色んな事が分からない。
それは、人間の苦しみであり、つらさです。不安です。ソクラテスの言うとおり、「分からない」という事に気付いた初めての生き物です。分からない事に嘆き苦しみますが、それは人間だからこそ、人間ゆえの事なわけです。まさに人間、という感じです。
要は、それでいいんです。分からない事は不安ですが、それはみんな同じです。人はいつだって分かりませんから。どう生きていいか分かりませんから。でも、何とかかんとかして、問題を打ち立ててはそれを目標に生きていくのです。分からない事を抱え、分からない事に向かって生きるのです。