毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

傷ついた時は愛するものの事を思う。

生きていると、色んな事で傷つく事ってあると思います。人間だからしょうがない。でも、そんな時は、愛するもの、愛する人の事を大事にし、愛するものの事ついて考え、思う事が良いと思います。

 

何かによって傷つくと、その傷けられた何かの事について考えてしまいます。この事自体は普通の事だし、悪い事とは思いません。ですが、ずっとその事について考えていても、心の傷つきが無くならないという事があります。むしろ、傷つきが長続きしてしまったり、傷つきが怒りとなって、怒りの炎を燃やし続ける事になったりします。怒りの炎を燃やしても、いつまで経っても苦しいままで、ずっと心がその事にネガティブに囚われ続けてしまいます。

 

そんな事を続けるよりも、愛するものの事について考える方がとても大事で、その事を考えるだけで心が落ち着いたりしてきます。傷ついて怒りの炎を燃やす事にエネルギーと時間を費やすくらいなら、愛するものの事についてエネルギーと時間を費やした方が、絶対に良いです。

 

愛するという行為は、人にとっては能動的な行為に他なりません。人は能動的に何かを行っている時は元気でいられるし、心も落ち着いていられます。その意味でも、愛する事に心を向けるというのは、元気でいられ、心も落ち着いていられることにつながります。そのような事に、いつも心が向けられている方が絶対に良いです。

 

傷つくという事自体は、繰り返しになりますが、人間にとっては普通の事だし、悪い事でも何でもありません。自然な事です。ですが、その事で頭も心もいっぱいになりがちです。人間はネガティブな事に引っ張られやすいですから、しょうがない事です。

 

ですが、それで生きる力が得られるかというと、そうとは限りません。場合によっては、そのままだと、生きる力が失われていきます。

 

愛するという事、また、愛するもののことについて思う事は、能動的な行為であり、生きる力が与えられる行為です。生きる力を持続させる行為です。生きる時間は限られているし、どうせ時間を使うなら、生きる力を失っていく事に使わずに、生きる力が与えられる事に使った方が良いです。それは、愛するものの事について考え、思うという事です。

 

人にとって、愛する事というのは絶大な力です。愛する事が出来れば、いつだって元気と安らぎが得られます。愛するものを大事にする事に集中し、時間を使い、考え、思う事が、人間にとっては何より大事だと思います。