毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

信じる事とお金。

信じる事とは、信頼とか信用とか、そういった事と関連しますが、人間にとってはとても重要な事だと思います。信じる力とは、能動的なものに基づいていて、それを支える事無しに為されるものです。なので、それを実践するのは実際困難です。ですが、信じる力があると、それが人間にとっては本当の力になります。一体どのように培っていけばよいのでしょうか。知りたいものです。

 

信頼とか信用とかで思いつくものが、お金です。お金は信用を代替するものであり、確実性が高く、かなり融通が利いて、多少変動するものの、色んなものと確実に交換する事が出来ます。お金は持っていれば安心で、実質生きていく上で非常に役に立ちます。生きる為に必要な食べ物を手に入れる事が出来るし、住む場所も確保できます。この社会の中で生きていく上で欠かせません。

 

その意味で、お金とは安心です。人間社会の中で互いに共有できる価値です。価値の代替物です。人は安心感が無ければいつも心細く生きていくのは困難ですが、お金を保有する事で安心感を得て生きていく事を楽にします。

 

信じる事に話題を戻すと、信じる事は不確実性の高い事に対してその力を発揮するものです。お金は確実性が高いものとして価値がありますが、信じる事は確実性を保証しません。不確実性は安心とは程遠く、確実性は安心をもたらしてくれます。その意味で、お金と信じる事は対称的な関係にあります。

 

信じる力は、その対象が人間の場合にその力を発揮します。例えば、人間からの信頼を獲得するのは困難な事です。人の心がどのようなものかは分かりません。自分から見て他人の心をコントロールする事は出来ません。たとえコントロールできたとしても、それはそれでその人からの信頼を獲得したとは言えません。なので、人を信じる為には、その支え無しに行われなければなりません。人を信じる時、自分自身の能動的なもの以外からは成り立ちません。

 

そんな不確かな「人を信じる」という事に対しても、人は信じる事を大事と言います。お金のように確実性が高くないのに、信じる事が大切である事を人は知っています。ロジック的には、信じる事の不確実性より、確実性の高いお金の方が便利なのに決まっているのに…。それでも不確実性の高い「信じる事」を大切にします。

 

人が「信じる事」を容易にできるなら、お金のようなものは生まれなかったでしょう。信じる事が確実なら、お金は要りません。確実に多くの事が為されますから。だから、確実な事にはお金によって代替できるようにし、不確実な事にはやはり他の支え無しに、自分だけを頼りにして信じるしかないでしょう。信じる事は、不確実な事の為にあるのでしょうし、人との間で必要な力なのでしょう。