毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「物語を創る」とはメッセージであり、創作プロセスが大事。

「物語」を創るという事に関して、一般には例えば文章を書いて物語を書く、つまり小説を書くみたいな事だとは思いますが、要はそれは創りたいものの表現方法であって、ツールとして文章や文字を使ったという事だと思います。作者は、小説を通して自分の表現したい「メッセージ」を文字のつながり、つまり文章として表現したかったという事だと思います。

 

別に、物語を創るという事に関しては、文字や文章を使って小説にしなくたって、漫画でも良いわけです。漫画を物語として描くとなると、今度は文字や文章というより、絵で見せる、絵で表現するという別のツールが必要なわけで、ツールとしての、創作プロセスとしての「絵を描く」という事を通して、物語を描きたかったわけです。メッセージを、漫画を通して、絵を通して、表現したかったわけです。

 

そういう意味では、ドラマや映画を作っても良いわけで、ただそれだとほぼ一人ではできず、多くの人の協力が必要になるし、機材も必要になる。だから、物語を創りたい人からすると、ツールが多く、複雑で、コストがかかり過ぎるので、それを全部一人ではやらないわけです。でも、本質的には、自分が物語として表現したいメッセージを、どう創るか、ツールが重要なわけです。創作プロセスが重要なわけです。結局、その創作している間は、ずっと創作プロセスとともにあるわけですから、創作プロセスを何にするかが重要なのは当たり前というわけです。

 

物語を通したメッセージを、文章で表現するという場合、別に、小説でなくても良いとも言えます。哲学でも良いと思います。スピノザの表現する自由に関する哲学の話も、別に小説を通して物語として表現しなくてもいいわけです。また、逆でもいいわけで、哲学として表現しなくても、小説の方が創作プロセスに合えば小説でいいわけです。これも、要は自分にとってどのような方法が創作プロセスとして良いか、そういう話です。

 

数学でもいいんです。数式の定理を作ってそれから物語を幾何学的図形で表現したっていいんです。建築をやったっていいんです。ただ、建築だと、映画やドラマと同じで、それこそコストが多大にかかってしまいます。でも、本質は一緒です。

 

そういうわけで、「物語」を作るという事に関しては、その創作プロセスをどうするか、どの創作プロセスが好きか、そういう事が大事だと思います。結局、その創作プロセスと向き合って、ずっとその時間を過ごすわけですから。