毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は新しさを求めている。退屈、進化、習慣について。

周りの事ばかり見ていると、また、インターネットで情報ばかり見ていると、自分の足りていないものが無意識に気になってしまうという事ってあると思います。そして、そのままにしていると、あれもこれも、になり過ぎて、頭がいっぱいになって落ち着かない生活になってしまいます。

 

また、人には、「退屈」という問題があります。色々とやる事があるうちは、仕事でも家事でも人間関係の事でも馬車馬のようにやるわけですが、疲れやストレスがたまり、休みたくなってゆっくり過ごそうとすると、何もやる事がないと感じて、今度は退屈になってきます。

 

周りの情報で囲まれて頭は疲弊して、色んな事をやって忙しくて疲弊して、ストレスをためて、でも、それらから離れたり、それらを止めたりすると、今後は「退屈」という問題がやってくるわけです。人とは何と面倒な仕組みでしょうか。

 

退屈という事に関しては、裏を返せば、人はいつも「新しさ」を求めているとも言えます。人は、何かに慣れてくると飽きてきて、退屈さを感じるわけですが、一方で、新鮮さ、新しい刺激を求めています。これもある意味面倒な仕組みではありますが…。

 

だから、新しい仕事、新しい生活、新しい人間関係、とにかく、常に新しい事を取り入れて、新しい事をやろうとします。ある意味、新しさは楽しみや喜びにつながり、飽きや退屈から逃れる事が出来るわけです。

 

常に新しさを求めるというのは、変化を求めているとも言えます。自分の目の前に広がっている光景を、暮らしを、いつも変化させたいし、自分自身ももっと成長して変化し続けたい。ずっと同じ状態というのは耐えられなくて、変化を常に求めています。

 

人類の進化というのは、生物の進化の歴史の一部ですが、人には進化しようとする性質が備わっているんだと思います。今の状態に飽き、退屈さを感じ、そして、新しさを求めて、変化します。そのようにして、いつだって人は進化しようとしています。

 

習慣は、それを助けます。習慣を積み重ね、続けていく事は、ある面飽きや退屈をもたらすようにも思えます。ですが、安定した今の生活、安定した自分がないと、退屈や変化どころか、いつも散漫で、色んな情報に振り回されて疲弊し、いつも不安で落ちつかない生活、自分になってしまいます。安定した生活、安定した自分があっての新しさであり、変化であり、進化です。

 

昨今は本当に情報化に影響が大きく、自分自身が散漫になって主体的な自己が形成しづらく、不安で落ち着かない暮らしになりがちです。また、飽きや退屈の問題もあります。人は基本的に新しさを求める傾向があって、変化、進化をしようとしています。

 

だから、日々の習慣は大事です。暮らしの土台としての習慣を大事にして、継続して、時には改善して、新しい習慣を取り入れながら変化していくと、退屈さから解放されて、自由を感じます。人はいつだって新しさを求めているんです。