毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不安に囚われず、自分が自分に優しい気持ちになれるようにする練習をする。

ゆううつや不安、焦燥感は、日常的によく湧いてきます。気が付いたら仕事の事を考えていて焦りが出てきたり不安が出てきたり。世の中の事についてもそう。世界の色んな情報に触れていると、それが自分の中に内面化して、世の中に対する不安な認識や理解をして、それに自ら知らず知らずのうちに不安になるという事もあります。

 

実際に、自分の身の周りで危険で不安な事が無くても、そういった事が内面化して、自分の中に、そのような不安な世界を創造してしまうと、それだけで、心も身体も憂鬱や不安に親しむようになって、いつでも自然にそれらに反応するようになってしまいます。

 

憂鬱や不安感に慣れ親しんでしまうと、それらをいつでも回避しようと、他の事から、安心を得ようとしてしまいます。他人との比較で安心しようとしたり、世の中の何らかのものを所有する事で安心しようとしたり、という感じです。でも、そのようにして、何かを安心を得ようとしてもきりがありません。

 

そうではなく、自分自身で自分に安心を与えようとする事が大事だと思います。安心を、他所から得るのではなく、自ら与えるという事です。その為に、メタ認知や客観視など、考える自分はあるんだと思います。

 

愛する気持ちを持ったり、優しい気持ちなったりする事は、とても良い事だと感じます。そのような気持ちになると、心地良いし、気分も良く、望ましい状態だと思います。

 

ただ、優しい気持ちになると言っても、それはそんなに簡単な事ではないようにも感じます。世の中に不安を感じている時、安全だと感じていない時、また、仕事に対して不安や焦りを感じている時、それらの事に容易に囚われて、そちらの事ばかりに意識がいって、優しい気持ちになるという余裕はありません。

 

でも、だからと言って、世の中の不安、世界に対する不安な認識に囚われていても、自分をあんまり助けません。

 

だから、自分自身で、「自分自身が優しい気持ちになる」という事の為の練習が必要なように思います。無理に、世の中や誰かを優しくしないといけないという事ではなく、ちょっとした事に、自分の事や自分の周りの事に、優しい気持ちになれるようにしていくという事です。

 

要するに、セルフコンパッションの意識が大事という事だという事です。まずは、自分自身に向き合って、自分で自分を受け入れて、認めて、そして、自分に優しい気持ちを向けるという事だと思います。そのようにして、自分自身で、優しさや安心感を自分に与えて、それを自分自身で感じるという練習をしていく事からはじめるのが良いのでないかという事です。そのような習慣が出来てくれば、自然と優しい気持ちから安心を感じる事が出来るようになると思います。

 

そのような事を練習して、習慣化していくと、無意識に色んな不安に囚われてしまう事から、自然と優しい気持ちになって、心地良く過ごしていきやすくなるのではないかと思います。