毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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言葉の断片としての独り言、Twitter。物語は人とのコミュニケーション。

Twitterツイッター)は、140文字までの言葉を使ったソーシャルネットワーク上のつぶやきですが、人が紡ぐ物語とはずいぶん違うなと思います。今回は、Twitter、つぶやきと、物語との違いについてお話ししようと思います。

 

Twitter、つぶやきは、独り言として思った事をそのまま口にできるものです。ソーシャルネットワークで使用されているTwitterは、140字を駆使して出来るだけ分かりやすく説明されているものもありますが、基本的にはつぶやきですから、思った事をそのまま独り言のように、言葉で出来るわけです。そんなに考えなくても、感情の吐き出しも出来るし、不満の愚痴も吐けるし、脳にとっても非常に楽で、非常に便利です。

 

このつぶやきは、脳内での思考の断片に似ています。私はいつも瞑想をしていますが、思考の断片に困っています。頭を静かにしたくても、勝手に、思考の断片が次から次へと湧いてきます。

 

実際、思考と言葉は、脳内で凄く結びついていますから、思考の断片というより言葉の断片とも言えます。特に考えず思いついたような言葉は、脳内で容易に断片として生じます。言葉は、ほぼ人間にとって自動化していて、思考されていない段階で、言葉として生じてきます。言葉の断片は取り留めもなく、脳にとっては楽な行為です。

 

人間というのは、思考や言葉の断片を生み出す生き物だと思います。脳内では絶え間なく思考が生まれ、言葉が生まれ、自動的につぶやきとして、断片として発生します。人は、「言葉を使う生き物」という前に、より厳密に言うと、「言葉の断片を生み出す生き物」だと思います。それは、独りで出来ます。言葉の音声として発生しなくても、頭の中で、独り言として、言葉の断片は思考無しに、自動的に生み出されます。独り言であり、文章の分節であり、言葉のフレーズです。これらは、思考を使さなくても、脳内で経験して記憶したものの中から自動的に出てくる言葉の断片です。

 

言葉の断片を、ひとつずつつないでいくと、文章になります。脳内の仕組みに基づく論理を使って文章を作るわけです。言葉の断片を部品として、思考と論理を使って、つないでいくと、意味になり、物語になります。その物語は、他の人が見て、聞いても、分かります。論理や思考は、人と人とをつなぎます。発生された独り言、つぶやき、言葉の断片だけでも、相手はその意味を分かる事は可能ですが、文脈はそのつぶやきには含まれないので、相手が文脈を埋める事で、全体としてその意味を理解する事ができます。ですが、言葉の断片を論理と思考でつないで、物語になっているものは、他人の理解が容易になり、コミュニケーションが楽になります。

 

言葉の断片に留まらず、倫理と思考を使って物語を紡ぎ出す行為は、人とのコミュニケーションを円滑にします。他人への優しさとも言えるかもしれません。物語としての小説は、単なる言葉の断片の連なりではなく、ひとつの重要な意味であり、一つの事を伝えるメッセージです。

 

言葉の断片としての独り言、つぶやきは、人間らしく、人間にとって普通の事であり、生き物として楽な行為です。そして、この言葉の断片を、思考と論理により物語にするという事は、人間にとって楽な作業ではありませんが、人とのコミュニケーションを可能にします。