毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

なぜ自分は自由を求めるのか。思考・想像・幻想からの解放。

会社や日常で疲れを感じてきたとき、凄く休みが必要だと感じる時があります。最近はそんな感じです。特に休ませたいのは、頭です。頭の中がいつも考えなくてもよい自動思考にまみれていたり、休みだから考えなくてもよい仕事の事の考えてしまって疲れたり、そういう感じで頭が疲れているように感じます。

 

私自身、「自由」の概念はとても重要で、何か考えるたびに自由が頭の中に出てきます。何かと自由を確保しないといけない気になります。そこで、自分は、何故自由を求めているのか。考えてみようと思います。

 

どことなく、他の事、仕事や人間関係の事などで頭の中がいっぱいになって、その事がきつくてストレスで、その状態から解放されたいと感じるからではないかと思います。頭の中に対する圧迫感のような状態がきついから、その圧力を解放して頭を楽にしたいと感じるんだと思います。そして、その結果自由を求める気持ちが強くなるんだと思います。

 

私はいつも瞑想をしていますが、瞑想をしていると、頭が思考の断片にまみれている事がよく分かります。この思考の断片は、理路整然とつながっているという感じではありません。最近の日常的な事から成る断片という感じですが、仕事に関連する事が多い時もあるし、人間関係に関する事が多い時もあります。それらは日常と全く関係のない事ではなく、最近の出来事をだいたい反映しています。そして、それらに感情が結びついていますから、ネガティブな内容だと脳内に疲れを感じます。そのような、ネガティブな思考を反芻してしまうので、何度も書き換えるようにして、頭の中に留めてしまいます。また、脳内で、事実に基づくような事から、事実ではない事へ勝手な想像によって、どんどんと想像の断片のようなものが増えていきます。まるで、想像によって幻想の断片を生成しているような感じです。そのような感じで、脳内での思考の断片や想像の断片、大げさに言えば、幻想の断片にまみれていく感じです。

 

脳内は、特に疲れを感じている時、そんな感じで断片でいっぱいですから、それらを取り除いて解放されて思いでいっぱいになって、自由になりたい、という気持ちになります。なので、自分の場合は、脳内の思考、想像、幻想の断片から解放されたくて自由を求めているのではないかと思います。

 

瞑想をしていて思うのは、そのような思考や想像、幻想の断片を無理に追い出そうとしても出て行かないという事です。そして、それらの断片に囚われ続けている事です。ネガティブな感情があるときは、できるだけそれらをセルフコンパッションで楽にしようとして、それで何とかハンドルできるのではないか思ったりしますが、絶え間ない思考の断片は頭の活動を持続させるので、頭に疲れを感じます。

 

これらの思考を、意識的な思考でどうにかしようとしても、また思考の上塗りのようになってしまって、幻想を肥大させる感じになって、囚われを結局続けているようになるので、むしろ、川に頭をつっこむように、違う内容のものを頭の中に流し続けて、囚われていたものを押し流すようにした方がよいのではと思ったりしています。

 

そんな感じでしょうか。私の頭はいつも疲れている感じです。なので、それから解放されたくてそれで自由を求めている、そんな感じです。