毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は物語を生きている。脳・自分・世界

私は勉強が好きで、哲学や歴史をはじめとして、色んな本に手を出しては勉強をしているわけですが、学んでも学んでも、いわゆる「本当の事」というのはなかなか分からないものです。

 

自分の事にしても、世の中の事にしても結局よく分からません。このご時世、インターネットもあって、たくさんの情報があって地球の裏側の事も分かる仕組みもあるけれども、情報もどれが正しいか分からないし、その情報をどう取り扱うかによっては認識する事も変わってしまいます。だから、自分がそれらを理解できるように、それ相応に筋道をつけて解釈して、把握する、そんな感じで解ったような気がします。この筋道をつけるという事を、物語を作る、と言い換えた場合、人は物語を生きているんだなと思うわけです。

 

そんなわけで、今回は、人は物語を生きているという事について考えてみたいと思います。まず、脳の仕組みから考えて、そして、自分と世界について考えてみます。

 

まず、脳が物語を作るという仕組みを持っているという事です。人が目の前にある事を認識するとき、視覚情報を基に認識するわけですが、視覚情報だけではなく、あらゆる文字で認識できる情報も認識しています。ありとあらゆる情報を吸収して、認識するわけですが、それら全ての情報をそのまま認識する事は出来ないですから、それを解釈し、自分なりに把握しているわけです。自分の中で、論理的で、合理的に捉えないとよく分からないからです。あらゆる情報が情報の断片のままでは、脳内の情報に埋もれて身動きが取れなくなってしまいます。だから、情報を整理して、納得できるように、物語を作ってしまうわけです。

 

自分についてもそうです。そもそも自分というものが何者なのか分かりません。日本に住んでいるから日本人であるとか、誰かに名前を付けてもらったからその名前の人間とか、そういう周りから認識しやすい形での社会的自分としては分かりますが、自分自身とは何者かはよく分かりません。そして、自分自身が何者か自体どうでもいいと言えばいい事なのですが、と言いながら、自分自身で自分という物語を作って把握しようとします。アイデンティティとはそのようにして作られます。そうしないと、生きていくのに不安が強く頼りないからです。でも、自分という物語を作る事で、それを軸にして、自分だったらどうすると自分に問いかけながら、生きる方向に方向性を付けて、進んで行きやすくするわけです。

 

そして、世界についても、物語を作る事で認識しています。ありとあらゆる情報があるとは言っても、それらは膨大で混沌としています。今では偽の情報もたくさんありますから、ますますよく分かりません。ある意味、世界にはあらゆる事実が転がっているわけですが、事実として気付く事実もあれば気付かない事実もあります。すべての事実は情報として認識できません。だから、それらの情報を使って自分なりに世界を想像して、創造するわけです。合理的に理解できるように、物語にするのです。今現在の世界についても、自分なりに物語を作って把握していますし、未来に対しても、自分の中のこれまでの過去の認識する世界、現在の認識する世界から予測して、未来の世界を物語として創造して認識するわけです。未来の創造する世界は人によって様々で、物語の作り方によっては、どんな未来も待っています。

 

世界には、事実が広がっています。そこに人はいるし、自然はあるし、地球はあります。ですが、脳の仕組みからそれらを認識するときに物語を媒介しています。それは自分に対してもそうだし、世界に対してもそうです。人間の主観的ものの見方という観点から言えば、人間は物語の中を生きていると言えます。絶望する物語もあれば希望に満ちた物語もあります。脳の仕組みを活用して、自分なりの物語を創造していかに自分をドライブさせていくか、生きていくというのはこの事にかかっているのかもしれません。