毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分を変えていく方法。「我予測するゆえに我あり」

習慣に基づいて、いかに変化し、進化していくかという事が私の関心事ではあるのですが、今回は、人間の「予測する」という性質に基づいて、自分をいかに変えていけるか、進化していけるか、という事について考えてみたいと思います。

 

コンピューター神経科学で意識の研究者Anil Seth教授は、デカルトが言った「私は考える。だからこそ、私は存在する。」という事を、むしろ人間は予測する生き物という観点から、「私は予測する。だからこそ、私は存在する。」と言い換えて主張しています。つまり、「われ思うゆえに我あり」ではなく、「我予測するゆえに我あり」です。

 

その例として、人間の色んな錯覚の性質を挙げて、人間の予測する性質の重要性について説明しています。人間は、感覚によって見たり、聴いたりして、様々な事をインプットしています。例えば、事前にインプットした情報がない場合、目の前にあるイメージは無意味なものになりますが、インプットした情報があると、目の前のイメージにそれらのインプットされた情報を用いて足りないイメージを補い、意味のあるイメージとして捉える事が出来ます。自分たち人間が社会の中で体験しているほとんどのイメージや音は、生きてきた中でインプットしてきた情報によって補完して意味のあるものとして認識しています。それらのインプット情報がなければ、人間は無意味な世界を生きる事になります。つまり、そのような錯覚の性質が、予測する性質の元となっているという事です。

 

また、錯覚の話とは別ですが、脳科学の研究でも、人間が何かを予測している時、脳の前頭葉の部位が活性化している事が分かっています。

 

そういう事から、人間は予測する生き物であるという事が言えそうです。考えてみれば言うまでもありません。そこで、人が変化し、進化していくという事について、予測するという観点から考えてみたいと思います。

 

人は、様々な感覚を活用して経験し、それらを記憶します。そして、その記憶に基づいて思考し、行為し、行動します。この事を「予測する」に置き換えてみますと、過去から現在までの記憶に基づいて、未来を予測して、行為し、行動するとなります。このとき、未来を予測するからこそ、ただランダムに何かをするのではなく、その予測された未来に向かって何かをするという事になります。

 

未来の予測なく、ただランダムに何かをするだけだったら、人は自分自身で自分を変えていく事は出来ません。ですが、予測に基づいて何かをするのであれば、自分を自分自身で変えていく事が出来ます。

 

言い方を変えれば、人は基本的に予測する性質を持っているので、生きていく中で、意識せずとも様々な事を予測しながら生きているという事になります。その意味では、色んな体験や学習が重要だと言われるのは、たくさんの多様な記憶がある事によって、それらに基づいて未来に対して様々な予測が出来るからだろうと思います。

 

ただ、日々色んな体験をしているのに、なかなか自分が変わらない、変われないと思ってしまって、変化がもたらされるのを待ってしまうという事があると思います。でも、それはそうではなくて、日々感じて、体験して、色んな記憶を蓄積していけば、自然と色んな事を考え、想像し、自分がどう変わっていくか、予測できるはずだと思います。そして、その予測された未来に基づいて何かをすれば、つまり自分自身で自分を変えていく、進化させていく事が出来ると思います。