毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

「孤独」で「寂しい」はどのようにしたら克服できるのか考える。

独り身で、いつも独りで、寂しくてつらい。人って、そういう寂しさ、つらさってあると思うんです。私は基本的に妻と二人暮らしで、一時期3年近く仕事で別々に暮らしていた事が会ったりしてその時は寂しかったですが、それでも長い期間は妻と一緒なので、孤独で寂しいという事が、本当の意味で分からないのかもしれません。でも、孤独で寂しいという経験が無いわけではないですから、分かるような気もします。また、独りでも平気そうな人もいます。

 

今回は、孤独で寂しいという事を、人はどのように克服できるのだろうか、という事について考えてみたいと思います。コミットする対象を見つける、今ここを生きる、孤独と向き合う、主体的自己を作る、人を愛する、についてお話しします。

 

まず、自分にとってコミットする対象を見つけて、その対象にコミットする。という事でしょうか。世の中にはいろんな面白い事があるし、趣味のような何か好きな事であれ、仕事であれ、人とお話をする事であれ、そういった自分にとって好きな事にコミットしていくと、寂しさを感じる時間は少なくなるのではないでしょうか。基本的に人は孤独だと寂しく感じるのは自然な事だし、そういう事を多少感じつつも、好きな対象にコミットする事は、変な言い方ですが、寂しさを紛らわして生きていく事ができるのではないでしょうか。

 

その意味では、孤独や寂しさに囚われず、今ここを生きる、という意識が大事なのではないかという事です。過去のつらさや未来に不安にまみれて、それらに囚われて続けて、今ここにいる自分をないがしろして、生きていくのは勿体ないように思います。今この瞬間を、しっかり見つめて、コミットして生きていく、この瞬間の連続性の中で生きていく事で、自分の生にしっかりコミットできるのではないでしょうか。

 

上の二つは、何かコミットしていく事で、孤独感や寂しさに振り回されない、囚われない生き方という事ですが、一方で、孤独としっかり向き合う事も大切なのではないかという事です。人間はそもそも孤独な生き物であるという事。いつも人とつながって、だからさみしくないというのは、人間の捉え方としては間違っていて、むしろ、人間は孤独な生き物であるという事を前提として生きていく。人はそれぞれ、主観的世界を持っています。それは、他人からはよく分かりません。当たり前です。自分が想像する、認知する主観的なものだからです。自己理解やメタ認知の重要性が高まってきている昨今、この主観的世界をしっかり生きる事が人の人生なのではないか、という事を言っているのではないかという事です。だから、まず自分は孤独なんだという事を認めて、自分にしっかり向きあう、孤独な自分としてどのように生きていくのかを模索する、それが人生なのではないかという事です。

 

上の事と関連していますが、主体性自己を形成するという事も大事だと思います。もちろん、人間誰しも完全に主体的自己を持っているとは言えないとは思いますが、生きている限りずっと主体的自己を作っていく事を続けるという事が大事なのではないかという事です。元々人間は産まれてからすぐは主体的な自己はまだなく、自分と自分以外の見分けもつかない状態なわけで、それから人生を進めていく中で主体的な自己を獲得していくわけです。この事は、実質的に言えば、そもそも人間には主体的な確固たる自己、自分と言うものはないから、という事だと思います。生きていく中で、主観的世界をある種内面に想像してその中で自分を見出していくわけですが、それはそもそも自分なんてないからです。自分の内部に拠り所は当然はじめから無いし、最初は他者に頼りながら、ある段階で自分で独力で内面に拠り所を作っていくわけです。一体自分は何者なのかと問い続けて、それを頼りに生きていくわけです。その結果、主体的自己を作っていくという事になるように思います。それでも、孤独感や寂しさは押し寄せてきますが、何とか主体的自己を保ちながら生きていくものではないかと思います。

 

孤独で寂しいという状態からすぐにというのは難しいようにも思いますが、人を愛するという事ではないかと思います。人だけでなく、世界のあらゆる対象と言っていいかもしれません。それは最初に挙げた、コミットする対象を見つけるという事と同じ事ではあります。人は、世の中に対して、関心を持って、何かに惹きつけられながら、それらに積極的に関与していく事で生きていく事が出来ます。心が、そのような他者や世界に開かれて、その方に積極的に向かっていく状態が大事なのではないかという事です。世の中には愛すべき対象や多くの人々がいます。その人たちを愛するようになれれば、孤独や寂しさは感じにくくなるのではないだろうかと思います。ただ、自分が弱っていて自己否定感が強く、自分の中の孤独や寂しさでいっぱいで、自分の事に囚われ続けていると、関心は自分以外に向けられませんから、人を愛する機会は生まれないように思います。だから、いきなり人を愛そうとする実践に行く前に、孤独や寂しさへの囚われから逃れて、今ここを生きる事の実践や、孤独と向き合う人間としての生き方の実践、主体的自己を作っていく、そういう事の実践を通して、人を愛していけるようになるように思います。人を愛する事が出来ている人はきっと孤独で寂しいという事があまりないと思います。

 

今回は、「孤独」で「寂しい」を、どのように克服できるのか、幾つか挙げてみました。どれか一つ身につければ、孤独や寂しさから逃れられるとは思いません。どの要素も少しずつ育てていくと克服できるのでないかと思います。ただ、これも自分がそうではないかと思う事であって、人によって要因は様々ですから、まだ他にも何か克服する方法はありかもしれません。これからも、孤独やさみしさについて、考えていきたいと思っています。