毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

長寿命化とは「長く生きる」という事ではなく、「ゆっくり生きる」という事

昨今、長寿命化が話題になっています。高齢化問題や少子化問題は日本社会にとって大きな問題になっています。そのような国家の問題はさておき、長寿命化に関して考えてみたいと思います。

 

人は、長寿命化によって、長く生きられるようになった。この事は、人にとっては良い事でもあり、見方によっては悪い事でもあります。良い人生の場合はそれでよいですが、良くない人生は長すぎる人生は辛いからです。

 

例えば、平均寿命と言うものを考えた場合、男性の1970年の平均寿命は69.31年、2020年の平均寿命は80.93歳と算出されています。だいたい1.2倍寿命が伸びています。女性も似たような数字です。感覚的には、90歳を超えて生きている人が周りにいっぱいいますから、大きなトラブルが無かったらもっと長生きするように感じます。

 

70年生きていた時代から90歳まで生きられるように考えた場合、現代の人は、50年前の70歳までと同じように70歳まで生きて、あと20年が足された。このように捉えるでしょうか。自分は、何か違うように感じます。

 

そもそも、ただ単に長生きしたい、と考えるのだろうか、とも思います。充実した人生を、長くいきたい、とは思います。

 

人の一生と考えたとき、時間的に長く生きようと短く生きようと、そんな事よりも、充実した人生を生きる事の方が大事です。人の一生を基準に考えると、70年も80年も同じです。時計の時間や暦の時間で70年と80年は1.2倍も違いますが、人の一生を基準にした場合、同じです。人の一生を基準にした場合、相対的には、時計の時間で70年と80年を比較すると、1.2倍”ゆっくり”生きたという事になります。

 

そこで、以下のような定式を考えます。

 

絶対時間(t)=時計の時間、暦の時間、太陽系や地球の時間

相対時間(t)=人の体験する時間、生きていると感じる時間、活動している時間

 

そして、速度についても以下のように考えます。

 

絶対速度(v)=時計の速度、暦の速度

相対速度(v)=人間の体験する速度、生きていると感じる速度、活動中に感じる速度

 

そのように考えると、絶対時間としての寿命は、20年長くなったが、人の一生という意味での相対時間としての寿命は変わっていない、というように考える事ができます。

 

逆に1日に関して考えるこうなります。絶対時間としての1日は寿命が長くなっても変わらないが、相対時間としての1日は短くなった。1時間に関しても同じです。絶対時間としての60分は相対的に10分ほど短くなったと感じられるわけです。絶対時間として60分は、70分かけて過ごして良いのです。

 

長寿命化したおかげで、70歳から80歳に10年長く生きられるようになったと考えるのではなく、ゆっくり生きていけるようになったという事だと考えた方がしっくりきます。

 

1時間1分を慌ただしく、無意識に生きるのではなく、丁寧にゆっくりその一瞬一瞬の体験を味わい尽くすように生きる、体験し尽くすという事です。