40過ぎでも進化する為の実践ブログ

りべしんと言います。40半ばを迎えたサラリーマンが、今からでも進化できると信じて日々考えて実践している事を書いています。

人間は脳内の快不快の世界を生きている。思考とマインドフルネス。

どうにも、自分の脳内では、ミクロでランダムで、でも、ある種関連性のない、絶え間ない快と不快があって、自分はその中を生きているように感じます。快の感覚は良いのですが、不快の感覚は非常に煩わしく、この不快をどう対処していくか、この事に多くの時間と労力を費やしているように思うのです。こういった事は、自分だけでなく多くの皆さんもきっと同じだろうと思います。

 

快不快に振り回されて生きている、と言うと、そんな生き方で良いのだろうかと考え込んでしまいますが、むしろその事をそのまま認めた方が自然ではないだろうかと感じます。自分は、快不快の世界を生きている、と。

 

これまでの人生での様々な経験や記憶に基づいて、色んな種類の快と不快が脳内にあって、快の感覚は心地良く、喜びでもあるので、それを放っておくことはできますが、不快は煩わしくそのままに放っておくことに耐えられないので、いつもこの不快をどうするか、が問題になります。不快は、嫌な事、恐怖や不安、憂鬱感、絶望感、焦燥感、精神的苦痛、ストレス、つらさ、苦しみ、なども色んな表現のものがあります。

 

仏教では、苦しみを人間にとって根源的なものとしていますが、確かにその通りだと思います。人間が動物として生きていくうえで、快はそんなに問題にはなりませんが、不快は生き死に関わる危機的状況なので、すぐに対処しなければなりません。ただ、現代社会では、昔ほど危機的状況ではないので、むしろ絶え間ない不快がかえって煩わしいものに感じられます。

 

なので、この脳内に絶え間なく湧いてくる不快に対して、思考によりどうするか、という事になります。これらの不快感に、分からないもの、未知なもの、不可解な事、それらも含まれます。何故そうなっているのか分からない、このような不明さは、脳内ではそのままで放っておくことが出来ません。なので、この不明なものの正体についてあれこれと思考して解答を見つけ出そうとします。そして、その解答に辿り着いたとき、不快感が解消されて快がもたらされます。この、思考による不快の解消が、ひとつの快だと思います。いかに、思考によって不快を快に転換していくか。

 

また、不快の問題は、その不快感が耐えられず、その不快をどうにかしようと、自分を取り囲む環境や周りの人に影響を与えてしまう、当たり散らしてしまう、というものです。それにより、自分の不快感が解消されると快がもたらされてしまうと、不快の快への転換の仕組みを覚えてしまいますので、人間はそれを自然とやってしまいます。ただ、それを放っておくと、人間社会は大変なままになってしまいます。思考をいかに正しく使うか、とても大事です。

 

人は、人生を経ていく中での経験や記憶の蓄積によって、自分特有の不快や快、思考を身につけていきます。快も不快も人それぞれ、思考様式も人それぞれです。不安や不明な事に対して、どのような問いをするか、それは思考の出発になります。また、自分に対して投げかける言葉のフレイズ、言語表現は、記憶学習によりパターン化されていますから、パターン化したいつもの思考様式だと、不快が一向に解消されないかもしれません。ですから、自分の思考様式を支える言語様式を、より良く修正していく事が思考をより良いものにしていく為には大事だと思います。

 

また、思考をより良く行うためにも、マインドフルネスの状態は大事だと思います。不快な事が脳内に現れて、無意識に焦って対処してしまうと、逆に余計な事をしてしまったり、不快を増幅してしまったり、周りの人を傷つけたりしてしまいます。なので、マインドフルに心を落ち着かせて、不快な事を観て、認めて、受け入れる。そして、不快の原因についてマインドフルにゆっくり考える、とても大事だと思います。すぐに不快な事が解消できない時はとりあえずそのままにしたり、解消できそうなときは解消する方法を思考に模索したり、落ち着いて対処していく事が大切だと思います。案外、マインドフルネスにより冷静に正しく思考すれば、多くの不快は解消されて、快に昇華されていくと思います。

 

人間は、快不快の感覚の世界を生きていると思います。動物みたいで嫌だと思うかもしれませんが、人間は基本的にそのような感覚世界を生きているという事を認めた方が良いと思います。その上で、思考をより正しく活用する事が重要で、その為にも、マインドフルネスな心の状態に持っていく事がとても大事だと思います。