何か物事が進んでいくというのは、少なくとも単線的ではない。そう思います。直線的な進み方はしないんです。
例えば、努力は、毎日のようにやっている。でも、だからと言って、結果は努力に比例するかというと、そうではないわけです。
やる事を一定にやっていても、しばらく結果が出ない事もあるわけです。停滞する事もあるわけです。そして、ある時突然、飛躍的に結果が出たりするわけです。
もちろんその意味では、最近あんまり十分に努力出来ていないのに、結果が出たりもするわけです。人間とはそういうものです。
努力という事で考えると、今日の努力と昨日の努力は実際違うかもしれません。同じだと思っていても、実は全然違うかもしれないわけです。
今日は凄く身体のコンディションが良く、昨日は凄くコンディションが悪い。そういう事の為に、努力は実は全然違っていて、当然結果も違っているわけです。
そして、逆に、大して努力をしていなくても、身体のコンディションがとても良いから、凄く上手くいくという事もあるわけです。
一方で、いくら努力をしていても、飛躍する為のポイントを全然掴んでいなければ、結果には何にもつながらないことだってあるんです。
大事な事は、単なる努力ではなく、ポイントとなる気づきかもしれません。努力の方向性の転換かもしれません。
もし、努力の方向性の転換が重要だった場合、いくら努力しても一歩も前に進まないばかりか、後退している事すらあるかもしれません。気持ちが嫌になって、二度とその方向に向かっていこうとは思わなくなるかもしれません。
そういう意味では、むしろ、努力なんかするより、ゆっくり座って休んで、しばらく何にもしない方が良いのかもしれません。何にもしない間に、身体もしっかり休めて、そして、重要な気づきを得るかもしれません。
そのような気づきの為には、気持ちの上で、一度思いっきり断念する事が重要だったのかもしれません。諦めることが重要だったのかもしれません。
そのような断念や諦念、挫折の結果、逆に、大いなる気づきを得るかもしれません。その意味で、一体何が物事を前に進ませる要因になるのか、全く分からないわけです。
そういうわけで、物事が進んでいくというのは、ただ単に努力をすればよいとか、そういう事ではありません。直線的ではありません。何もしない事も諦める事も大事です。何もせず、大いなる気づきの方が大事かもしれません。物事が進んでいくとはそういう事です。