毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ほとんどの事は出来なくていい。出来ない事を認識しておくが大事。

出来ない事はたくさんある。というか、ほとんど出来ない事ばかりである。人とはそういうものです。ほとんどの事は出来なくていいんです。

 

逆に言うと、ほとんどの事が出来るというのはあり得ないし、たくさん出来る事があるというのも、あんまりありません。出来る事というのは、自分で数えるほどしかないし、それでいいんです。

 

実際、どのようなレベルだったら、それは出来ると言えるのか。そういう話もあります。そもそも、出来るとか出来ないとか、そういう基準をどのように設定するのか。この事によって、ほとんどの事は出来ないし、場合によっては、ほとんどの事は出来るかもしれません。

 

結局のところ、それが出来るか出来ないかを判断しているのは、自分自身だったりして、他の人にとっては、自分が何が出来ようが、何が出来まいが、そんな事はどうでもいいんです。

 

さらに言うと、問題なのは、要は、自分の中で、出来る出来ないの話をしているという事です。主観的な事です。自分の中の主観的な世界での話です。自分がどう思うかどうか、どう感じるかどうか。自分が出来ていると思えるかどうか。

 

だから、ほとんどの事が出来ないというのは、問題ないんです。出来なくていいんです。要は、自分にとっての観念のようなものだから。

 

つらいのは、自分の中の観念上の事で、自分は出来ないと感じる事です。また、ほとんどの事が出来ないと感じる事です。実際、出来るかもしれなくても、自分は出来ないという観念に囚われてつらいわけです。

 

そういった事は、逆に、観念として、自分はそんなに出来ないわけではない、と書き換えてしまえば、案外解決してしまう話です。自分の中で、自分はそんなに出来ないわけではない、と思う事が出来れば、つらさは軽減します。つらさの問題ではあれば、それで解決できます。

 

また、つらさの問題とは別に、客観的に、自分が出来る事、自分には出来ない事、そういった事を、よく分かっている事は、凄く自分に対して助けになります。それは、自分が出来る事に対する認識だけではなく、自分には出来ない事に対する認識もです。

 

実際、自分はそれは出来ない、という事実がはっきりわかれば、例えば、それをする必要はないし、また、それを出来るようになるように改善すればいいんです。何らか、解決する方向に進む事が出来ます。

 

そういうわけで、自分自身、ほとんどの事は出来なくていいんです。ただ、それをよく認識しておくことは大切です。そうすれば、どうすれば良いかが分かって、前に進めます。