毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

承認欲求を自ら抑圧する仕組みを持っている。そんな自分に気付いて自分を自由にする。

承認欲求を良くないものだとして自ら抑圧し、その結果かえって承認欲求を膨らましてしまう。そういう事ってあると思います、そのような自らの抑圧によって、さらに承認欲求による苦しみは倍増です。

 

承認欲求は良くない事だと言われ過ぎて、社会性や道徳観を身につけていく過程で、自ら自分を抑圧する仕組みを内蔵させていく。日本人ならありそうな話です。

 

自分で自分をうまく律して、抑制の効いた人間は、とても出来た人間という事で、評価されたり、そのような人間である事を期待されたりします。その結果、自ずとそのような人間になってしまいます。

 

ですが、そのような社会適応によって、うまく生きていけるようになったとしても、自分の内部には依然として承認欲求が存在していますから、何かあれば暴れ出して、自らの抑圧を食い破って外に飛び出してきそうな、そんな状況で日々を送っています。

 

フロイトは、無意識に、承認欲求を抱えた「イド」という領域が心の中にあると捉えて、それを社会規範として自らに内部構造として作りあげた「超自我」がコントロールすると想定しています。

 

この場合、このコントロールが抑圧であって、過度の抑圧は、自分自身の自由の心を抑え込んでしまいます。これが、あまり長く続くと、苦しみが膨らんでいきます。

 

人間ですから、欲求はあるわけです。承認欲求ももちろんあるわけです。それを無いものと仮定して生きていく事は出来ません。

 

ちゃんと、自分の中にある欲求は自分自身でまず認めてあげないといけません。また、認める前に、ちゃんと気付いてあげないといけません。

 

あまりに無意識の深いレベルで刷り込まれていると、そのような欲求を持っている事に自分自身気付きません。でも、知らず知らずのうちに、自分を追い込み、苦しみ、時には怒り、時には無気力になっていたりします。

 

何かあった時、異常に嫉妬してしまったり怒りが湧いたり、それが長く続くようだったりしたら、その事を単純に否定せずに、自分はそのような事に嫉妬や怒りを感じているんだと、しっかり認識する事が大切だと思います。

 

そして、自分はそういう欲求を持っている。そういう承認欲求を持っている。と、認識してあげる事が大切です。

 

そうしてはじめて、日々の色んな苦しみが、自分の内部の承認欲求に基づいているという事に気付けます。

 

そして、しばらく無理にそれを改善しようとしなくてもいいんじゃないかと思います。そんな自分を、そんな承認欲求を持っている自分を、しばらくは認めて過ごしてみたらいいんだと思います。自分をよく知る事で、今後、そんなに抑圧しなくとも、その承認欲求はハンドルできるようになるし、苦しみからもかなり解放されるはずです。そして、心もかなり自由になります。