毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不安は思考でコントロールできるのかについて考える。大脳と脳幹。

最近、不安に関する事を考える事が多いわけですが、それは、日々不安感の対処が難しく、そして、煩わしく、そして、実際に生きづらさなどに関係してくるからです。仏教でも、不安を取り除く事、軽減する事を中心に考えています。

 

今回は、不安と思考の関係について考えてみたいと思います。

 

身体と不安の関係については、身体が、神経生理学的に不安を感じている状況にあると、身体から脳へのフィードバックにより、脳自体も不安に基づくものを認知して、実際に不安になってしまうと考えられます。

 

不安自体は、実際には、脳が認知的に感じるものであって、脳ではない身体が、不安そのものを感じているというのは、実際表現とはおかしい気もします。

 

脳を、大雑把に、大脳と脳幹に分けて考えて、これも極めて大雑把ですが、大脳は思考するところで、脳幹は不安を感じるところに分けられるとして考えてみます。大脳と脳幹は神経系でつながっていますから、相互にフィードバックしています。

 

身体全体の状態は、神経生理学的にも、脳幹にボトムアップ的にフィードバックされますから、身体の状態が危険な状態で防衛しないといけない状態の場合は、不安を感じる事になります。そのようにして、不安を感じた脳幹は大脳に不安に関する情報をフィードバックして、その結果、大脳では不安を認識する事になります。

 

一方、大脳内で不安に基づく事を思考すると、それが脳幹にトップダウンにフィードバックされ、不安を感じるととともに、身体全体にもそれがトップダウンにフィードバックされます。

 

この理解は、脳と身体に関しての大雑把な理解ですが、思考と不安に関して、どのように不安を思考でハンドルするかのアイデアに、何らか役に立つようにも思います。

 

身体で感じる事は、無意識下で起こる事であり、身体から脳幹にフィードバックされたのちに大脳のフィードバックされるため、大脳で認知的にコントロールが難しいと感じます。

 

ですが、大脳内での思考によって生み出されたものが脳幹にフィードバックされて不安に感じるというものは、大脳での認知的な思考によるものですから、思考を認知的にコントロールできれば不安に対処できるように思えます。

 

社会生活においては、ほとんどの不安は、自分が大脳内で思考する事によって生じる事が多いわけで、不安を取り除こうと思ったら、そのほとんどが思考によってコントロールできるのではないかと思います。

 

そういうわけで、思考と不安に関しては、大脳内での思考をコントロールする事で、基本的には不安はコントロールできるのでないかと感じます。