毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

朝から音楽を聴きながらハミング。メルロ=ポンティの肉の概念。

最近、朝から、静かでお気に入りの音楽を聴きながら、ハミングをやったりしています。音楽を聴くだけでも心地良いわけですが、それに合わせて、ハミングをするとなお心地良いという感じです。

 

音楽を聴きながらハミングをしていると、身体が振動するのが分かります。全身に、特に上半身ですが、音楽と自分の身体が、腕の方まで共鳴するように振動が広がる感じがあります。

 

ハミングするとき、耳で音楽を聴きながら、腹式呼吸とともに喉を息が通過して鼻を通して息が出ていきます。喉や鼻の奥の辺りが振るえるのが分かります。一方で、音楽も耳で聴いて、身体全身で聴いているような感じにもなります。そのようにしていると、音楽が感情とともに身体にこもる感じになるし、音楽次第でしょうけど、優しい気持ちになります。

 

ポリヴェーガル理論で言うところの、有髄の迷走神経系を使った「社会交流」する身体に、朝から成っていく感じです。

 

音楽を聴くという行為だけでも、何か双方向の感情の動きを感じます。音楽を受動的に聴き、能動的に聴くという感じです。入ってくる音楽を聴いているようで、自ら聴きに行っているようでもあります。耳というより、身体で、という感じでしょうか。

 

メルロ=ポンティの「触れる」と「触れられる」という可逆性や肉の概念がありますが、音楽というものに関しても、「聴く」と「聴かれる」というような関係性として肉の概念が通用するように感じます。

 

音楽と自分が、身体を通して、交流する感じですが、音楽が自分の身体に触れてくる感じとともに、自分自身も音楽に触れに行っている感じになっていて、どちらが能動的でどちらが受動的かの区別はよく出来ません。

 

ハミングの場合、ただ聴くという行為より能動性が高まるようには感じますが、音楽と共鳴する感じも高まって、受動的な意味での感情が高まるような感じもします。物理的にも、ハミングによる身体での振動が音楽と共鳴する感じが強まるようにも思います。

 

音楽は物理的には音としての共鳴現象が関係しているので、メルロ=ポンティに言う「触れる」「触れられる」といった可逆性や肉の概念は、実質的にも、区別できないその間での「共振」とか「共鳴」、さらには、「共創」のような感じで新たな何かが生み出されているのかもしれません。

 

朝から、静かな音楽を聴きながらハミングする。ポリヴェーガル理論の有髄の迷走神経の働きを活用しつつ、確かな心地良さの高まりを身体で感じます。