毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生を変えたい、という事について考える。関わり・自分・感じる主体

人生を変えたい、というのは、人がよく考える事だと思います。私もよく考えます。いかに、自分の人生を、ある方向に方向づけていったらよいか。

 

「人生を変える」という時、たいてい、世の中との関わりの中での事、実社会の中でどう生きるか、仕事をどうしていくか、人々とどうやっていくのか、そのような事について言っているように思います。

 

実際確かに、人は、世の中との関わりの中でしか生きていないとは思います。世の中との関わり方、仕事との関わり方、人との関わり方が、その意味での人生に大きな影響を与えていて、人生をいかに変えるかというのは、それらをいかに変えていくか、という事になると思います。

 

一方で、人生の中を生きている”自分”は、それらの関わりからフィードバックを得て、感じる事で生を感じて生きています。そのようにして、生きているという”実感”を得ています。この実感無しに生きる事はありません。自分にとっては、どう感じるかが大事だという事です。

 

人間は、何も感じなければそれは生を感じているとは言えず、自分が生きているという実感が無いと言えます。自分とは、その意味で感じる主体と言えます。いかに感じるか、どう感じるかという事において、その豊かさや強度が無ければ、感じる主体としては、生を感じられません。

 

人は感じる主体であり、関わる事によるフィードバックによって感じて生きているという事を基礎として、土台としていて、その事を踏まえて、いかに、世の中、実社会、仕事、人々関わっていくか、という事になると思います。

 

繰り返しですが、自分がどう生きるにせよ、人生をどう生きるにせよ、自分たち人間は感じる主体であり、感じる事で生があるわけだから、いかに関わる事でのフィードバックを感じるかという事を踏まえて、どう人生を変えていくかという事を考える事が大事だと思います。

 

自分たち人間は感じる主体であり、感じる事でしか生きられないという事を考えると、世の中との関わりに強く期待する事は自然な事ではあります。ですが、その関わりに期待しすぎるあまり、それが過剰になって感情の変化が大きくなり、振り回されるという事もあると思います。また、感じる主体としてていねいに関わる事による実感を得ていないと、いくら関わっても物足りなくて、過剰に関わってしまう事もあると思います。

 

そのような事を繰り返してもいても、人生は変わったと感じられず、人生は安定せず、そして、自分という主体も安定しないと思います。自分が安定していないと、感情の波に振り回されてしまって、人生を変えるどころか振り回されて、主体としての自分が不安定になって失われてしまうと思います。そうなってしまうと、もはや自分としての感じる主体は生を生きられなくなります。

 

人生を変えるにせよ、自分が生きるにせよ、世の中や実社会、人々との関わりからのフィードバックをしっかり感じて、また、感じる主体としての自分が基礎としてある、土台としてある、という事を踏まえて、その上でどう関わっていくのかを考えていく事が大事なように思います。