自分の中に、自分ともう一人の自分がいる。というような事はよく聞きます。色んな本を読んでいても、色んな人の話を聞いていても、そのように言っています。自分も確かにそうだなと感じます。
人は、その意味では2人から成るのかというと、それだけでもなく、ある側面の自分もいれば別の側面の自分もいて、多面的なマルチな自分がいると感じます。とはいえ、比喩的に、2人の自分がいる、と捉えても、あながち間違いではないように感じます。
人間が産まれて発達していく中で、数歳の段階で主体的自己が育ってきますが、この時点で、何かしら、1人ではない自分が育ってきています。主体的な自己は、子供から大人になって以降も後天的にいくらでも変化して発達し続けて、歳とともにますます変容していきます。そういった事を「学習」という言い方が出来ると思います。
いずれにしても、自分の中に、2人の自分がいるような感じは誰にでもあるように思います。
例えば、メタ認知する自分、自分を客観視する自分というのは、この場合のもう一人の自分です。自分と向き合って、自分が何かを認知しているという事を認知しています。
また、マインドフルネス瞑想においても、脳のモードにサリエンスネットワーク(SN)の脳モードというのがあって、デフォルトの自分=デフォルトモードネットワーク(DMN)の脳モードの自分や、思考や分析や意思決定を司るセントラルエグゼクティブネットワーク(CEN)のモードを客観視しています。この意味では、このモードは3人目の自分という事になります。ですが、客観視するという意味で、対象として客観視される自分(DMNやCEN)と、それを客観視する自分(SN)という意味では、大雑把に2人と言えなくもありません。もしくは、というよりむしろDMNの自分に対して、CENとSNが一緒になった自分がもう一人の自分のようにも感じます。
ダニエル・カーネマンの著書「ファスト&スロー」のシステム1とシステム2の自分は、2人の自分ですが、システム1の速い思考の自分は上のDMN、システム2の遅い思考の自分はCENという感じです。この考えを参考にすると、もう一人の自分はシステム2です。
ですが、自分の中のもう一人の自分というのは、自分を客観視する“冷静”な自分という感じもしますから、それは脳モードのSNの状態が含まれているように感じます。同時に、メタ認知する自分は、そこに”思考”する自分がいますから、CENであり、システム2の要素が含まれているように思います。
そう考えると、客観視する自分をもう一人の自分と考えるなら、心の状態が落ち着いた冷静な自分であり、その自分が思考や分析しながらシステム2として機能する自分が、もう一人の自分という感じがします。普通に考えて、落ち着いていないと遅い思考は機能しません。
人間が冷静で落ち着いている状態を作り出すには、身体の状態がとても大事です。身体の状態が不安定だと、脳の働きも上手くコントロールされませんし、マインドレスな状態です。
その意味では、もう一人の自分を自分の中に感じ、自分を上手くハンドルしていくには、身体の状態がとても大事なように思います。その時はじめて、もう一人の自分が現れてくるように思います。