毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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意識の時間について考える。神経活動・注意・シュレーディンガーの猫と確率分布

今回は、意識の時間について考えてみたいと思います。意識については、色んな議論があって、ずっと注目されていますが、私も気になってずっと考えています。意識は、身体の中の自分の在りかのように考えられていて、また、生命としての実体としても考えられています。そこで、今回は、神経活動としての時間、注意を向けるという意味での注意としての時間、そして、シュレーディンガーの猫としての確率分布に基づいて考える意識の時間について考えてみようと思います。

 

まず、神経活動としての時間です。神経細胞シナプス間隙とそのネットワークを通じて発火活動を行っていますが、その時間は、電気化学的測定によると、1ミリ秒とかそれより短い時間域だったりします。発火現象の時間は、主には神経の細胞膜近傍の電荷を持つイオン濃度の分布の変化を観測する事で決められています。イオン濃度の分布はそのまま電圧の値に反映されますから、モニターしているものは電流や電圧ですが、その源はイオン濃度です。イオンの揺らぎや拡散する時間は、短いとマイクロ秒(0.001ミリ秒)オーダーやそれよりもっと短い時間域になり得ますが、発火現象ではイオンの拡散は細胞近傍では局所的ではあってもひとつの神経細胞内でも多少集団的に振る舞いますから、ミリ秒のオーダーくらいまで長くなるのは妥当だと思います。さらに、ネットワーク化した神経活動のある程度広範囲なものとして発火現象を考えると、その時間は1ミリ秒よりも長い時間域になると考えられます。

 

一方、脳の中での意識の活動として、思考する事や何かに注意を向ける事、何かに集中する事、一瞬する気にすることなどは、意識的であれ、無意識的であれ、ある時間を持っていると思います。それで「注意」に注目すると、自分の中で、何かに注意を向けるとは、つまり、意識が何か対象にその意識を向けるという事と言えると思いますが、何か対象に「注意」を向ける時間が、意識的であれ、無意識的であれ、意識の時間だと考えると、想像すると、10ミリ秒(100Hz)のような時間よりも短いように思います。脳のβ波は100Hzから14Hzくらい(10ミリ秒から0.07秒くらい)ですから、それかそれより長い時間だと思います。α波は、サブ秒から秒のオーダーですから、注意を向ける時間という意味ではかなりゆっくりとした時間という事になります。そういった意識を向けた時間が意識の時間と言えるように思います。

 

そして、意識が何か対象に注意を向けるという事に関して、逆に、頭の中が散漫過ぎて注意を向けられない状態、思考できない状態を考えてみます。頭の中では、空間的にも広がりがあって、考える対象、注意を向ける対象は、過去の思い出や経験、記憶した事、想像している事、予測している事など、たくさんあります。そして、注意を向ける対象があまりにたくさんあり過ぎると、その対象を選び、それに注意を向ける事は困難です。一体自分は自分の中の何について注意を向けるのか、何の対象について考えるのか、分かりません。ただ、自分が注意を向ける対象は有限であって、自分の経験した事や思いついた事の範囲を越えません。無限でありません。自分の中の自分特有のある確率的な分布を持ったものです。その自分特有の確率分布的な対象の中から、何かの対象に注目して注意を向けるわけです。

 

ここで、シュレーディンガーの猫の話を持ち出します。注意を向ける以前は、どの対象に自分の注意を向けるかは分かりません。でも、意識を向ける事で、ある対象という「点」に注意が向きます。そして、次の瞬間、また、ある別の対象の「点」に注意を向きます。そうやって、注意の瞬間を繰り返していくと、言い方を変えると、注意の時間を長くすると、その点は粒子化、もしくか、物質化するように、確率分布の形になってきます。①注意を向けていない状態「どの対象の点か確定しない確率分布の状態」、②注意を向けた状態「ある確定した対象の点」、③注意の時間を長くした状態「対象が確率分布の形として粒子化、物質化した状態」。これが、意識が何かに注意を向けている状態の時間、そして、意識が何かについて思考している状態の時間、と言えるのではないかと思います。「物質化」という表現は、ベルクソンが言っている「物質」という表現に基づいて用いました。

 

注意を向ける対象を確定した時間が意識している時間と言えます。私たち人間は、そのような時間域をもってはじめて何か注意を向ける事が出来て、考える事が出来て、つまり、自分という「生」を生きていると思います。それより短い時間では、自分を自分自身として、意識として、生として、形成できていません。

 

意識はずっと活動をし続けています。眠っている時も、覚醒度は低いながら、意識は活動を続けています。夢を見るのも意識の活動によるものと思います。意識は絶え間なく活動を続けていて、言い方を変えると、絶え間なく、でも自由に活動を続けていたいんだと思います。

 

意識の活動する時間はサブ秒とかそういう時間と感じられますが、意識を向ける対象を固定させることは困難です。例えば10秒という時間を、1つの対象に向け続ける事は困難です。意識はある時間範囲を持っていると思います。ずっと同じことを考え続ける事、し続ける事、させられ続ける事は、自由を奪われたような感じになって、不自由に感じてしまいます。死に向かっていく感じがします。だから、意識が自由に向けられるようなちょうど良い時間というものが、生を感じられる時間なんだと思います。人間としての観念的な意味でも、自由の時間は、意識の時間と関係しているように思います。