毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

意識と「私」の関係について考えてみる

最近、意識とは何かについて考えているのですが、今回は、「自己」や「私」についても考えてみようと思います。最近、脳科学神経科学など科学は随分と進んでいて、意識や自己の問題はかなり分かりやすくなってきましたが、一方でまだ分かっていない事も多く、そういう意味で、色々とその周辺について考えてみる事は意味があるのではないかと思っています。

 

それで、まず、意識とは何かですが、その実体は、主に脳内に集中している神経によって形成されたネットワークにおける神経細胞の活動の総合的なものであろうと思っています。神経細胞はそのネットワークの中で、神経伝達物質やイオンのやり取りによって発火を引き起こしています。また、単に周りの環境の変化に依存してか、それ自身の生命維持活動によってか、自発発火する場合もあります。まるで、宇宙に無数にある星が明滅をしているような感じでしょうか。このような神経細胞の発火現象が神経ネットワークの中でたくさん起こっていて、その活動が意識であろうという事です。だから、意識は人間が生きている限り、生き続けているという事です。言い方を変えると、意識はずっと脳内を中心に生きていて、意識が生きているという事が、私自身が生きているという事を実感させてくれていると言えるのではないかと思います。

 

で、次に、「私」について考えてみます。例えば、記憶に関して何かを思い出している時、それは意識自身が私の記憶を思い出すという体験をしているのではないかという事です。また、私が何かを考えているという場合、それは意識が脳内で思考の体験をしていると思います。「感じる」に関しても同じです。意識が、脳内で何かを感じる体験をしていると思います。これらを、「私」として言う場合は、「私は何かの記憶を思い出している」、「私は何かを考えている」「私は何かを感じている」と表現するわけですから、「私」とは意識という事になります。そして、私が体験するものは意識が体験しているものということになります。

 

「我を失う」という表現があります。この事を実感として考えた場合、意識は失われているだろうかと考えてみると、意識は失われていなくても、我は失われることがあるように思います。我を失っている時とは私はいないわけですが、それでも意識はいるわけです。神経細胞の活動が意識の実体であるという事を考えると、意識がまずあって、その上で「私」があるという事になります。意識の中に「私」があります。

 

意識には、意識と無意識という領域があると概念的には考えられていますが、それらの実体はいずれも神経細胞の活動がメインです。無意識の状態は「私」を実感せず、意識の状態が「私」を実感していると思います。意識は、人間が生きているという生命性を感じる実体そのものであって、「私」は生命の中で生じているという事になります。

 

「私」という定義は色々とあって、私の身体や手や足も私自身という場合もあるので、場合によっては「私」の意味が変わる場合もあるかもしれませんが、その「私」を生じさせているのは、意識であろうと思います。神経細胞の活動⇒意識が生まれる⇒私が生まれる、の順番だと思います。