毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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マルクスの思想に基づいて労働と資本について考える。

斎藤幸平さんの「人新世の「資本論」」を読み進めながら、マルクスの思想に基づいて労働と資本について考えてみたいと思います。

 

マルクスの思想に基づいて、まず、労働というものについて考えてみます。物質代謝論に基づいて考えると、自然の資源を、人間が人間特有の方法、つまり労働という方法によって、人間が使用できる形に変えて消費して、そしてそれを自然の資源として還元するという事になります。人間は、人間単体では生きられませんから、人間以外の何か、ここでは自然の資源を活用する事で、営むという事です。

 

人間が人間としての営みをするという事が基本軸で、その為に資源を活用して労働する。これが労働の意味という事になります。資源に関して記述しておくと、理想的には、資源を人間が使用できる形に変えて、それを消費し、消費後はそれを資源として形を変えて戻す、という循環システムが重要です。

 

そして、資本です。資本は、営みを効率化するための1つの形態で、お金の事でもあります。お金=貨幣という媒体物=メディアを活用する事で、人間の営みを活発化して、効率化します。上の、営みと労働の関係を考えると、営みの為に労働があって、それで営みが十分成立するなら、資本や、お金は必要ありません。中心的なイベントは営みであって、その為の労働だからです。ですが、営みを成立させる為の労働が十分に無い場合は、労働を増やさないといけません。それが活発化であり、効率化という事になります。そして、その1つの形態が貨幣であり、資本です。

 

資本は、一定期間ある場所にお金を蓄積します。その事によって、労働が効率化するので、営みの程度が上がります。資本は営みの程度を上げる効果があります。お金を媒介する事自体が労働の生産性を上げる事になりますし、また、よりたくさんのお金を蓄積して、それをある労働に集中的に活用すれば、それによって営みの程度は格段に上がる事にもつながります。そのような意味で、マルクスの労働の考え方をベースに、資本の役割をそのまま考えると、こうなります。

 

マルクスの思想に基づけば、あくまで、「人間の営みとその為の労働」が基本です。そして、その為のお金であり、資本です。営みや労働が目的ならお金や資本はあくまで手段です。これが基本的な図式です。

 

  1. 営みの程度が、人それぞれみんな平均値であれば、それで良いように思いますが、かたやある人の営みの程度が高かったり、またある人は労働の程度が高かったりして、各個人によって、求めている営みや実践している労働、持っている資本が違っていたりすると、この違いが人間に対しては、命を削るほどの大きな影響を与えます。生態学的に、もしくは、統計学的にマクロに考えれば、このシステムで良いのですが、ミクロに個人の生活を見ていくと、人間個人にとってはハードな世界にも見えます。

 

今回は、斎藤幸平さんの「人新世の「資本論」」を読みながら、マルクスの思想に基づいて、労働と資本というものついて考えてみました。こうして考える事が、現在の資本主義社会について考えたり、さらには共産主義について考えたりして、より良く考える事につながればいいなと思っています。