毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分にとっての美しさを根源的に支えているもの。経験・習慣

生きていく時、自分にとってそれが美しいかどうかで判断していくと、より善く生きていけるような気がします。また、今の一瞬一瞬を美しく生きようと集中していくと、その持続として心地良く生きていく事が出来るように思います。

 

この、美しさというものを自分の基準としていくのが良いという事は分かるのですが、一体この美しさの根源にあるものは何なんだろうか。今回は、この事について考えてみたいと思います。経験と習慣についてお話しします。

 

この美しさを支えているものは、結論から言うとそれまでに積み重ねてきた経験なのではないかという事です。容姿や歌声など、直感的に美しいと感じる事もありますが、人や自分の振る舞い、心の動き、思いやり、考え方・決め方、態度、色んな事を今まで経験してきて、それらを美しいと感動して、記憶してきたのではないかと思います。また、美しさを支えるひとつは快だと思います。快は身体に基づいているので、美しいと感じると、感覚的に快を感じます。でも、快だけだったら、それは「美しい」ではなく、「心地良い」なので、美しいは快だけではありません。誰かの思いやりに触れたとき、その体験が強く心を動かし、そして、とても心地良い経験となります。そうやって、思いやりの心と快が結びついて美しさを形成します。誰かの鋭い判断力や思考力みたいなものを目の当たりにして、素直に凄いなと感動して同時に心地良さがセットでついてくると、その経験が美しさを形成していくように思います。そうやって、色んな振る舞いや態度が感動や快と結びつきながら、良い結果や喜びに結びついていくと、さらに、美しさが自分の中に身についていくように思います。

 

このように、美しさは、快だけではなく、善のような倫理的な事も含めて色んな要素を自分の中に取り込みながら形成されていくようにも思います。美しさは、見た目の美から、人の振る舞いや態度の美まで、色んな種類の美を取り込んだ自分独自のものです。だから、美しさの中身は説明が難しく、そして、自分だけが知っている感覚のようなものだと思います。

 

そのように考えていくと、美しさとは経験に基づいて身についていくわけですから、普段から美しい事を習慣として継続していく事が望ましいように思います。自分にとっての美しい事、美しいふるまい、態度、考え方は、自分がよく知っているわけですから、それを毎日の習慣に取り入れて実践していけば、より善くより心地良く過ごすことができます。また、思いやりなど他人との関わりから身につけた美しさも習慣として実践していけば、みんなともより善く、より心地良くやっていけるように思います。

 

美しさとは、見た目などの美しさから、美しい心、思いやりや振る舞いや態度、色んな種類の美から構成されていて、そして、歓びや優しさなどの心地良さ、善い行いなどの善も含めて複雑に構成された、自分独自の、そして、自分にとって極めて価値のある確かなものだと思います。それを自分の中心に据えて、毎日の習慣として実践していけば、快適に美しい毎日を送ることが出来、そしてさらに、自分自身の美しさをまた経験として積み重ねて高めていく事で、さらに良く確かな美しさを身につけていく事が出来るように思います。