毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

美を追求する事が生きる事。容姿・自然・歌声・人の動作・他人を大事にする気持ち

「美」、「美しさ」を追求する事というのは、生きる事そのものなのではないか。と、結論から書いていますが、では、何故そうなのか、についてはよく分かりません。

 

美の哲学について、プラトンやそれ以外の時代のものを調べてみると、真善美という概念があって、真と善と美が関連し合うという考え方もあるようですが、独立して考えている場合もありますが、その中で美について説明がされています。真は、真理の追求で、正しいか正しくないか、現代でいう科学的な態度、ものの見方に近いように思います。善は、良いか悪いか、倫理に関するもので、人間の人間関係、みんなとどうやったらうまくやっていけるか、社会的な事、政治的な事などを取り扱う時に重要な事だと思います。美は、真や善とは違う位置づけになっていて、個人的な価値観にゆだねられているように思います。

 

見た目の美しさから、美しい生き方まで、人によっての美しさは色々とあります。また、美しいという時、その対象の美しさの理由があってだから美しい、というよりむしろ、理由よりも前に美しさがあって美しさを説明する事が難しく感じられます。だから、人が何かを判断するとき、「美しいかどうか」がその判断を決めているように思います。その意味で、人にとっての美しいは根本のところにあって、人が生きていく事にとってとても重要なのではないかと思います。

 

そこで、美しいとはどういういうものか、という事についていくつか挙げて考えてみたいと思います。例えば、人の容姿、花や自然、歌声、人の動作、他人を大事にする気持ち、のようなものでしょうか。

 

人の容姿ですが、これは美しいかどうかを考える時、分かりやすいと思います。他人を見て、その人が美しいかどうか。誰かが美しいと言ったから美しいと感じているわけではなく、自分が美しいと感じているから美しいわけです。極めて主観的です。自分の容姿に関しても、自分で美しいと感じると元気が出るでしょうし、美しいと感じないと元気が減っていく方向になると思います。美しい人を見たとき、心はその人に惹きつけられます。ドキドキして心が落ち着かず、舞い上がってしまう場合もあるでしょうし、嬉しくて心地良い気持ちになったりすると思います。

 

花や自然、これも美しい対象としてよく美しいかどうかを判断しています。自然の風景など、ぱっと見たとき、すぐに美しいかどうかわかります。説明のしようがありません。美しいから美しい、そんな感じです。ですが、これも極めて主観的です。そして、その美しい自然の風景を見て、感動します。美しいと感じる時、心が動いて感動しているわけです。感動しているから、これは美しいと自分は感じているんだなという事が分かります。美しい風景を目の前にしているとき、心が穏やかになります。その美しさに引き込まれるような感じでしょうか。吸い込まれるという感じでしょうか。その美しい花や自然に惹きつけられるわけです。

 

歌声はどうでしょうか。美しい歌声を聴いたとき、その美しさに感動して、涙する事すらあるのではないでしょうか。その澄み切った美しい歌声によって、心が洗われたようになって、心の状態が変わってしまったりしないでしょうか。その美しい声を聞くと、心も落ち着くし、心地良くなるし、元気にもつながって、生きるエネルギーが湧いてくるように思います。

 

人の動作、これも美しい対象だと思います。しなやかな手の動きに見とれるという事もあるでしょうし、人の考えている顔なども、容姿とは別に、その思考する表情に美しさを見出す事もあると思います。そのような人の動作は、ちょっとしたことですが、心を動かします。

 

他人を大事にする気持ち、これも美しいと感じないでしょうか。人が人を想うとき、恋愛に限らず、どうしたらその人を大事にできるだろうかと心を砕き、思い悩みます。そして、その人の為に何かを考え何かをしてあげようと努力します。気持ちを込めます。その時の心の動きを考えると、それは美しい行為と感じます。大事にしようと、丁寧に何をする。おもてなしの心などは、美しいものだと思います。人の為に何かをしてあげようという優しい気持ちや心は、美しくないわけがありません。感動的です。

 

挙げればきりがないですが、今挙げた5つだけでも、どれも美しいと思います。人が関わっているものが多いですが、自然は人ではありませんが美しく感じられますので、人だけとは限りません。そして、美しさは、心が動きます。感動的です。そして、魅力的です。惹きつけられます。容姿や歌声など、惹きつけられて、心が喜びに満ちて、快しかありません。

 

そして、このような美しさを感じている時、時間が過ぎていく事などどうでもよい感じです。その美しさをずっと感じていたいと思うくらいです。生きた心地を感じると思います。だから、そのような美、美しさを感じて、追及していくと、生きた心地を強く感じて、その為に生きたいと思えます。心地良く、歓びや心が洗われる感じがして、それをずっと目標に生きていきたいくらいです。

 

そういう意味で、美しいと感じる事を追求していく事が、生きる事にとってとても大事なように思います。美の追求が生きる根源ではないかと思います。