毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間は「感じる」生き物。「感」「考」「行」・瞑想・人との会話

最近、いろんな場面で、「感じる」事は大事だなと思わせられることがあります。人間の仕組みから言ってもそうなっているように感じます。そこで、今回は「感じる」事の大事さについて、自分なりに考えてみようと思います。

 

身体や人間の仕組みから、まず、基礎となる部分に「感じる」があるように思います。「感じる」は、気持ちや感情と関係していて、身体の感覚にもつながっています。人は他の動物と同じく、五感を通じて情報を取り入れる仕組みを持っていて、それを通じて情動や感情が動いています。また、何かを自分の頭の中で考えたり、想像したりする時も、同時に何かを感じています。そうやって、何をするにも、「感じる」という事をやっています。そして、「感じる」という事をベースに、「考える」という事をやっているように思います。何かを考える時、その良し悪しや好き嫌いを判断の軸にしているように思います。その良し悪しや好き嫌いは、「感じる」に基づいた快不快、嫌悪から成っているように感じます。そして、「感じる」をベースに「考えて」、そして、何を「行う」ように思います。人はあらゆることを行っていますが、「感じる」「考える」に基づいて「行う」という事をやっているように思います。順番としては、「感じる」、「考える」、「行う」、「感」、「考」、「行」という感じでしょうか。

 

私は、毎日瞑想を行っていますが、その中で、「感じる」事を大事にしています。呼吸瞑想によって瞑想に集中しながら、身体の状態をチェックします。身体の状態を感じようとします。頭から肩、腕、手、腰、足、など、身体の各部分に意識を向けていく事で、身体全体を感じる事ができます。この確かな「感じる」という感覚によって身体の状態をチェックしています。身体だけではなくて、頭の中で感じている事、思っている事や悩んでいる事についてもチェックしています。頭の中で巡っている事はほとんど「感じる」が伴っています。瞑想では、この自分の「感じる」とか「感情」を客観的な視点で観察して気付いていく作業を行っていて、言い換えると、感情と気付く自分を切り離す作業をしています。それくらい、「感じる」は身体の深い部分にあるように思います。

 

私自身、この「感じる」事の大切さは、特に、人との会話、人との交流の時に思うようになりました。人が他人と話をしようとするとき、話す事によって自分が何を感じているのか、これが良い会話かそうではないかを分けるように思います。そしてその事が、人との関係性を決める場合もあります。話をして不快の時、その人とはまた話をしようとは思いませんが、快の時はまた話をしたいと思います。だから、人と話をするとき、相手がどう「感じる」が同じく大切になります。自分は相手と話をして心地良く感じるが、相手は自分と話して心地良く感じない場合、自分はその相手と話をしたいと思っても、相手は自分と話をしたくないというようになります。その意味で、人と話をするとき、「感じる」が大切になるように思います。

 

そういう意味で、何をするにも、「感じる」という事を大事にしていく事が生きていくうえで大切なように思います。今回は、身体や人間の仕組みから「感じる」の事の重要性について考えてみました。そして、瞑想や人との会話に関する「感じる」事に考えてみました。

 

「感じる」事は人間にとって確かな実感です。これを中心に据えて、気持ちや心を大切にして生きていくのが良いのではないかと思っています。