40過ぎでも進化する為の実践ブログ

りべしんと言います。40半ばを迎えたサラリーマンが、今からでも進化できると信じて日々考えて実践している事を書いています。

哲学が好きな理由。思考による快。

人は、基本的に、脳内で快不快の世界を生きていると思っています。快とは、身体的快感、美味しい、心地良い、気持ち良い、快適から、精神的な快、嬉しいとか、楽しいとか、喜びとか、愛おしい、また、安心感、安全感、など色んな快があると思います。また、不快とは、快とは逆の方向で、身体的苦痛、精神的苦痛、苦悩、不安、憂鬱、苦しみ、つらさ、イライラ、憎しみ、これまた色々あります。そして、人間にとって、快より不快の方が敏感なように思います。快は心地良いからそのまま放置してよいですが、不快は煩わしく耐え難いので、そのまま放置するわけにはいきません。

 

思考は、私にとっては、この脳内の不快感を解消して、不快感の問題を解決し、快をもたらしてくれる最良のものだと感じています。基本的に、哲学するとは思考する事と言えるので、思考による快により、ずっと哲学し続ける事が出来ると思っています。もちろん、哲学する事が簡単だとは思っていませんが。

 

脳内の不快に関して、その煩わしさが昔からつらく嫌で、その絶え間ない不快感によって体調を崩す事もあったように思います。思考による快に基づいたというより、不快を思考により脱するという事に基づいたという感じで、それにより思索や哲学する事が癖になっていったように思います。そして、不快→思考→快という繰り返しにより、それが習慣化して、思考する事が趣味みたいになったんだと思います。ただし、頭の痛い、頭の疲れる習慣ではあります。

 

また、昔から勉強する事は好きなわけですが、思考する事が習慣になったから勉強する事が好きになったからか、そもそも勉強をずっとしてきたから思考する事が好きになったのか、どちらは分かりません。いずれにしても、勉強する事が思考する事に、思考する事が勉強する事に役立っています。

 

人の思考様式は、その人の言語の使い方、言語の表現方法、フレイズ、と言った言語様式に依存するように思います。思考と言語は強く結びついています。方言や、その地域や時代の話し方、家族の話し方なども、かなり思考様式に影響するように思います。また、思考は、快不快を伴いながら行うので、思考する事の繰り返しにより、感覚や感情と思考が神経レベルで連合して深く結びついていくとも思います。そのような感じで、思考様式はパターン化されがちなので、いつもの思考によっていつもの解決案や結果に陥りやすいため、自分の思考様式や言語様式は常に改善する必要があると感じています。

 

そういう意味で、言語は、思考する事、哲学する事にとても重要です。そして、ブログは、言語を活用して文章化されたものという意味で、自分にとってとても大事です。このブログは自分の思考の実践であり、プロセスであり、産物でもあるので、自分にとってとても重要なプラットホームです。

 

このブログを毎日書き始めて8か月ほど経ちましたが、これから先も相変わらずブログを書き続けていけたらと思っています。